掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 45

前回から半年近くこのブログを放置していました。正直、だいぶ先生に素直に言えるようになって来ているので、もうこのブログにあまり頼らなくてもいいのかなあ…なんて思っていたのですが。

今の状況もこのブログのお陰であるのは勿論のことなので、どうしようもなくなった時や診察まで時間がある時なんかの駆け込み寺としてまだ残しておいた方がいいのかな、と思っています。

 

昨日、ある事を思い出してしまって。

10年ぐらい前のことです。何かの用事で実家(戸籍上)へ子供たちと一緒に出向いて夕飯をごちそうになった時です。「母」が「クコが自生しているところを見つけたから葉を摘んできたので天ぷらにした」と出してくれました。

クコってあの、赤い、クランベリーみたいなドライフルーツっぽい、中華料理でよく見かけるヤツですね。あれの葉っぱだ、と。

「おかしいな…」と思ったんです。クコの葉っぱって、確か丸っこい、如何にも普通の葉っぱ、って感じじゃなかったかな、と。

「母」が出した揚げ物は『手のひらのような形の葉っぱのてんぷら』でした。断るわけにもいかないし、何しろ子供の頃から私を虐待してきた人ですから大人しく頂くしかなかった。それに、私もクコの葉の形状を正確に覚えていた訳ではなかったんですね。記憶違いかな、本当のクコの葉ってこんな形なのかな、と。

明日葉という伊豆諸島などで良く取れる野草というか野菜があるのですが、あれかと思いました。明日葉の小さくて細いヤツかと。でも味が違う。明日葉は食べ慣れているので味はわかります。独特の香りも味も無い。

じゃあ、これなんだろう?と。

葉の縁がギザギザしていて、揚げてあるのに口の中に引っかかる、鋭いギザギザがあって。パリパリに揚げてあったので口の中を切ることはなかったんですけど。

私も子供も食べちゃいましたよね。

そんなことがあったのが10年ぐらい前。

で、昨日。

インターネットの番組で「マリファナ」だか「大麻」を使った料理番組だか、そんなのがある、というニュースを目にしました。で、大麻の葉っぱを見て「あれ…?」と思ったんです。

まさか、と思ってクコの葉っぱを調べました。そうしたら、やっぱり私の記憶通りの葉っぱで。10年前に「実家」で『クコの葉』として食べさせられたものはやっぱりクコじゃない。で、大麻の葉っぱを調べました。似てるんですよ、『クコの葉のてんぷら』として食べさせられたものに。

 

東京近郊の林や河川敷に行けば自生しているところもあるようですし、どうやって入手したのかわかりません。もしかすると「母」が私たちに食べさせたものは大麻に似た別の葉だったのかも知れません。

でもね、紅茶に煙草の葉を浸したものを私に飲ませたり、殴ったり、水に漬けて溺死させようとしたり、訳のわからん男手引きしてレイプさせたりしてきた「親」なので、大麻の葉を私たちに騙して食べさせても全く不思議はないというか、如何にも「やりそう」という感想しかないんですよ。

ただね、私が無知だったばかりに、もっと「これクコじゃないよね」とはっきり論破できるだけの自信と知識が無かったことが悔やまれて。子供たちも食べちゃったんですよ、「おじいちゃんおばあちゃん」のこと嫌いだったのに。

「ああ、やっぱり本気で私のこと殺したかったんだな…子供たちのことも殺したかったんだな…」って。

もう、涙も出なくて。

私は本当に親がいないんだな、って。

ほんと、心がカラカラと言うか、悲しい泣きたい、って気分になれないんですよ。でも何か目は潤んでくる、っていうか。水は溜まってきますね。

 

と、いうことを思い出して考えてしまって、薬飲んでなかったら今頃自分はどうなっていたんだろう、どんな行動を取ってしまっていたんだろう、ってゾッとするというか。

薬飲んでて、本当によかった、って。感謝してます。

掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 44

 

前回からかなり間が空いてしまいましたが、今も通院しています。治るのか治らないのか、それはお医者様でもない私にはわかりません。ただ、私としては悪化しないように、通院前のように自死行為・衝動を抑えることを目的として通院しています。目標を幾つも持つと混乱する、というか狂ってしまいそうなので。

ただ、子供たちが大きくなって独立して、もう親の私など必要ないくらいになってもらったら・・・そうなったら私はお役御免でもいいかな、と思っています。それまで、子供たちをこんな現実世界に放置して私が勝手に死んでしまうことだけは避けたい、その一心です。

親も親戚も頼れる人が誰もいない状況、というのは、経験してみないとピンと来ないと思います。

辛いです、この一言です、本当に。

私の場合、子供の頃から『両親』に会っていい親戚、というのをコントロールされてきましたし、友人関係も変なのしか周りに来なかったので。

「この人となら友達になれるかな」と思った人でも、次の日には良く似た別人が現れたり、「絶対に相性が悪いし生理的に無理」という相手に限って強引に近づいてきては「親友」を騙り。

世間一般的な交友関係というものが私にはありません。

ニュースで、子供を虐待していた親を逮捕・子供を保護、といった記事を目にする度に、「無事でよかったね」と思う反面、どうして私の時には誰も動いてくれなかったんだろう、と悔しさでいっぱいになります。正直、羨ましい。

私の一番古い、思いだされる限りで一番古い記憶は、二歳の頃のことです。『両親』二人に、「ママ」「パパ」と教えられ(良くある、親が子供に言葉を教える状況ですね。「ママって言ってごらん」みたいな。あれを執拗に繰り返されました)、その後「行ってくるからね」と言われ、『両親』が玄関から出て行ってしまうと、入れ替わるように『母』に良く似たオバサンがやってきました。私は「ママはどこ?おばちゃん誰?」と訊いたんですが、その途端オバサンの顔色が変わって「アタシもアンタのママよ!顔が同じでしょ!ママって言え!」と怒鳴られ、顔を叩かれました。当時の家は玄関を上がるとすぐに六畳の和室だったのですが、その部屋の奥にタンスがあったんです。玄関の縁から和室に置いてあったタンスまで飛ばされました。距離として、恐らく2m以上だったと思います。タンスの角に頭をぶつけて、畳の上に倒れて、痛いという感覚がなくてただ「怖い」だけだったように思います。あと、ショック。

オバサンは「アタシだってアンタのママって認めなさいよ!」と怒鳴りながら倒れてる私を起こして、顔や頭を叩き続けました。どうしてこんな目に遭うのかわからなかったし、息が出来なかったですね。ショックで過呼吸になっていたのか、喉元を締めあげられていたのかわかりませんが。パニックだった、というのもあると思います。痛い、というのは、殴られ続けている間に何となく感じ始めて、その後に子供心に殺意が湧いてきました。それでも子供の私には身動きが取れなくて、ひたすら叩かれて、もう駄目かな、って思った時に、誰かが止めに入ってくれました。見たことの無い人だったので、近所の人だったのか、たまたま通りかかった人だったのか、私を殴っていたオバサンの付き添いの人だったのか、全く分かりません。とにかく、助かったと思ったら、そこからは意識がありませんでした。目が覚めたら布団に寝かされていて、私を殴ったオバサンはいなくて、『両親』が心配そうに私を覗きこんでいました。

これが、私の一番古い記憶です。

自分の子供に「一番昔の記憶って何?」って訊くと、やっぱり幼稚園に入る前のことを言うんです。でもそれは「絵本を買ってもらった」とか「お父さんがブランコに乗ってて、交替で背中を押してあげた」とか「○○ちゃんが我儘で嫌いだった」とか、普通の答えなんです。

私の人生って異常だったんだな、って。

このブログを読んで下さっている人が何人いるのかわかりませんし、どうせ誰の目にも留まらないと思います。でも、どうか、お願いします。

虐待が発覚したら、(ネグレクトなど種類は色々あると思いますし、お母さんの精神状況なども考慮された方が良いと思うのですが)、私のように暴行という幼児虐待が発覚したら、是非周囲の方や行政の方にはしっかりとした対応を取っていただきたいな、と。

私が受けた虐待は、暴行事件です。刑事事件として扱って、親から引き離して施設で18歳まで暮らせるようにしていただきたい。戸籍上、親とも離れるような対応を取っていただきたいです。

最初が肝心です。私の場合は、この後も続きました。小学校二年生の時に担任の先生が見つけてくれるまでの間に、何度も殴られたり、水の貯まった浴槽に顔を押し付けられて何度も窒息しそうになり、好きでも何でもないどころか『父』よりも年上であろう相手と何度も見合いをさせられ。

一度だけ近所の人が「逃げよう、おばちゃんが匿ってあげる」と言ってくれましたが、そうじゃないんですよ。匿う、とか、逃げる、じゃないんです。暴行を止めさせて、暴行した奴が捕まって欲しかったんです。なんで被害者が日陰の道を歩かなきゃならないんですか。

小学校の二年生の時に虐待が発覚しても、その後も続きました。小さい頃は単純な暴力だけだったからまだ良かったんです。中学へあがると、そこにレイプが加わりました。

日本って保証人社会の側面があって、賃貸契約だけじゃなくて、子供が公立高校に進学するにも親以外の親族の署名が必要になってくるんですね。子供がどんなに努力しても、親戚は作れません。親から親戚付き合いを制限されてきた私には、無理なんです。URに入居するので連絡先にしてもいい?と頼れる友人もいません。お互いに頼れる間柄になれるかな、と思える相手に出会っても、次の日には向こうは良く似た別人に変わってしまいますから。しかも、顔だけ似ててガラの悪い。あくまでも私の印象ですが、日本人っぽくない人に変わるんですね、毎回。

私みたいなのは中途半端なんですよ。ちゃんと行政が「虐待被害者」と認めてくれなかったから。どんなに私が訴えたって、世間は「ああいうことを言ってる人がいる」で終わりですから。

18歳まで施設暮らし・・・の方が、公的な証拠・書類がありますからそういう人の方が受け入れられ易い、というのが私の印象です。

絶対に、保護した児童には公的機関が「虐待被害者」として公的に認定して下さい。書類・証拠等を作成して施設で保護して下さい。被害者のこれからの人生や健やかな成長を願うなら、ちゃんと認めてあげて親元から引き離して施設で暮らせるようにしてあげて下さい。

まあ、施設で暴力事件やレイプ事件があったら目も当てられませんが。

掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 43

 


縁を作れ、と言われるんですが、どうやって縁を作ればいいのか全くわかりません。やっぱり、親がちゃんと用意して入れ替われるように子供の頃から縁を作ってるんだな、と周りを見ていると思います。
よく言われたのが「お前はどこの馬の骨かわからない。どこの家か、どこの家柄か知らない奴とは付き合っても意味がない」と。
なので、切り取られてしまったら、もう生きていてはいけないのだな、と実感しています。
利用されるだけ。
かなり以前に書いたのですが、特定の顔に付きまとわれてきました。幼稚園の頃に連れて行かれた見合いで「可愛くない子、やっぱり殺してやる」と私に言った背の低い痩せた女・・・この女の子供でしょうか、高校受験・大学受験の度に違う名前で私に近寄って来、今は下の子にもこの顔が学友として近づいてきています。何故なのかはわかりません。どうして自分が初めて会った人に「殺してやる」と言われなければならないのか理解できません。
戸籍上の『実家』の隣の家にも同じ顔・・・親戚なのかシリーズなのかは知りませんが、住んでいました。妙な家で、息子がちょっと変な人だ、と近所で評判だったのですが。近隣の家と揉める、近所の家の自転車にいたずら、向かいの家の外壁に取り付けてあるプロパンガスのボンベに向かって火のついたままのタバコを投げ捨てる・・・と、要注意人物ではありました。その家が引っ越した後ウチの子と同い年のお子さんを持つご家庭・・・『Kさん』としましょうか、Kさんが引っ越していらっしゃったのですが、リフォームのときに驚くことが沢山あったそうです。
家の中に引く電気、ですね。普通の家なら30~40アンペアぐらいで契約していると思うのですが、電気会社に使用開始の連絡をしたときに「前の方は60アンペアで契約なさってたのでそれでいいですか?」と聞かれたそうです。このこと自体は別に変なことではないでしょう。前の方はパソコンを家族の人数分揃えていたそうで、5・6LDKぐらいの大きなお宅だったので、パソコン+エアコン+ドライヤーを同時使用、なんてことになったら、まぁ、そんなに驚くようなことではないのかもしれません。
 ところが、リフォーム業者さんに来ていただいて天井裏や床下・壁等を見ていただくと、天井裏に無数のコードが通されていたようです。「一般家庭の回線数じゃない、パソコンを酷使する大手企業のような配線」と、業者の方は言っていたそうです。しかも、電柱から住居に引く電線を確認したら、110アンペア前後になるように改造していたそうです。電力会社との契約は60アンペアだったのに。
 私はこのあたりのことは詳しくないので、こういった方面に通じている方が読めば、意味がわかるのかも知れません。ただ、素人の私でも「違法だろうな」ということぐらいは想像がつきます。
 この話をKさんから聞いて、思い当たることがあったんです。Kさんの家は私の『実家』の西隣なのですが、夜寝るときに西側に頭を向けて寝ると、頭痛と吐き気でどうしようもなかったんです。耳鳴りとかして。で、もしかしたら枕の向きが悪いのかも、とか、もしかしたら何かお祓いでもしてもらったほうがいいようなことがあるのかな、とか色々悩みまして、反対側に頭を向けて寝るようにしたんですね。それ以来、頭痛も治まって普通に眠れるようになったんですけど。
ひょっとしたら関係あるのかな、って、気味は悪くなりましたよね。


久しぶりに書いていますけど、中々書こうという気にならなくて、ずっと放っておいていました。どうせ読む人もいないし。
相変わらず、乗り物は苦手です。家族と一緒じゃないと電車もエレベーターも乗れないです。電車の中で子供が空いている席を探しに隣の車両へ行ってしまったりすると、本当に不安になります。なんだろ、身体全体がゾクッとするというか、悪寒というか、身体が汚染されてしまうような、と言えばいいんでしょうか。余程の用がない限り一人で電車に乗るなんてことはないので、とりあえず今のところは普通に暮らせてはいます。短い距離で、空いている車両なら、のんびり一駅二駅ごとに降りて落ち着いてから乗って・・・ということをすれば何とか家まで帰ってはこられるので。
他人との簡単な会話なら、世間話程度のものならばなんとかできるようには戻ってきてはいます。盛り上がるような会話は無理ですけど。
他人を羨んだり妬むことはないです。一応、子供たちもいて、幸せだとは思います。自分が子供のころに比べれば、今の自分の状況はとても幸せだと思っています。お金はないし、子供にもそのことで苦労させてしまっていますが。
ただ、親戚や兄弟、友人関係というのは、自分の力ではどうにもならないです。親戚・兄弟は自分の力で作ることはできないですし、友達も「仲がよくなったら次の日には顔が微妙に似ているけど全然違う人」が友人として現れるので、交友関係なんて無いし周囲から切り取られたように孤立してしまっています。
誰に育てられたか、どの家に引き取られたか、で人生決まるんだな、って。
昨日、『実家』から着信がありました。留守電に何も吹き込んでいないし、着信だけです。自分の住所も教えないし「判子貸せ」とかこっちを利用することしかしない人たちで、本当に五年ぶりぐらいに電話かかってきたんですが、正直に言うと、気持ち悪いし気味が悪いです。番号だけは『実家』ですけど、実際に誰が電話をかけてきたのかわからないですし、数時間毎に入れ替わって「おばちゃん誰?」とその度に私が聞くと「私だってアンタ母親なんだから認めなさいよ!」って怒鳴って殴りつけてくる親役の人たちだったので、関わりたくはないです。怖い、というのが本音です。
でも、このまま無視していると、かえってどんな報復をされるのかわからなくて怖い、というのもあります。私の名前を勝手に使って借金作る、とか、人を雇ってまた私を襲わせるとか。子供に万が一のことがあったらどうしよう、とも思います。
でも、こちらから連絡を取ってしまったら、また妙な繋がりができて毟り取られるようなことや子供たちが虐待されたりとか、昔にやられたように、『母』が勝手に男を手引きしてレイプされるようなことがあったら、とかそういう目に遭う危険性が高くなるので、絶対に連絡はしないつもりです。
いいな、とは思いますよ。ちゃんとした自分の実家がある人、って。羨ましいですよ正直。自分の親がいて、子供たちのことも孫だって可愛がってくれて、そういうご家族を見ると、本当に羨ましいです。私には、絶対に手に入らなかったものなので。
私は、子供たちのことを考えたら、長生きしてあげる方がいいことはわかってるんです。でも、「今は死んだら駄目だけど子供たちが巣立ったら死んでもいい」というのが心の支えなので。これがあるから、毎日ちゃんと薬飲んで、子供たちを育てているので。
薬飲めば、なんとか今は落ち着いているし、フラッシュバックの回数も減ってきました。でも、昨日は薬飲んでも落ち着かなくて、今朝も怖いです。何のために『実家』が連絡してきたんだろう、って。すごく怖いです。一言でも話しちゃったら、私自身が昔に戻ってしまって、「殺されるのが嫌だから大人しく言うことを聞いてしまう」という状態になってしまいそうで、怖いです。また、どんなに利用されてもどんな仕打ちを受けても誰にも言えずに一人で抱え込んでいたころの状態に戻ってしまいそうで、怖いです。

 

 

掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 42

 

 

子供たちも私の変化に気が付いているのか、なんだか嬉しそうに見えます。やっとこんな生活から抜け出せて別の名前を使って普通に暮らせる、とでも考えているのでしょうか。それとも私の被害妄想なのか、子供たちすらも信じられなくなってしまっているのか。
まぁ、逃げられるなら逃げたほうがいいに決まってます、こんな環境。
近所を見ていても、子供のころ『母』から言われたことを思い出しても、なんだか「売春して働くことがいいこと」という認識で動いている町なのかな、という感じです。
今思うのは、自殺した舅も死ぬ前はこんな気分だったのかな、と。死ぬことしか残されていない状態に追い込まれると、泣くこともできないんですよ、本当に。時間が経って落ち着いて、やっと涙が出てきて「あぁ、まだ泣けるんだ」って安心します。
みんなは幸せになれるんでしょう。私を死ぬまで追いやって、手を汚さずにみんなで一つにまとまって私を殺せて喜ぶんでしょうね。今まで私に手をかけてきた『母』や『母』に暴行を指示していた『父』や、ストーカーや、子供を狙ってきていた連中や、私がレイプされて喜んだ連中や、みんな「心願成就」って感じで喜ぶんでしょうね、きっと。
子供たちは私が死んだ後、別の名前を使って逃げて暮らせるのかもしれませんが、私は本当に行く場所がないし入れ替わってくれる人もいないので本当に死ぬんですが、多分子供はそんなことはわかっていないのだと思います。誰かに指示されてきたのか心底私が憎いのか、上の子はよく私に「死ね」と言ってきましたし。まぁ、学校でそうやって虐められてきたので、気分でそう言ってしまうのかも知れませんが。上の子を虐めてきた連中の家に共通することは、某野党の親派だ、という可能性が大きいことです。共×党ですが。デカデカとポスター貼ってる家もありましたしね。金になるからなのか付き合いで、なのかは知りませんけれど。
余談ですが、昔大学紛争以前の某旧帝大系に出入りしていた人から聞いたことがあります。某新興宗教団体親派の教授連が「新しい日本を作ろう」を旗印に掲げて学生たちをピックアップしていた、と。それが詳しい団体名は知りませんが安保闘争・学生紛争に繋がっていった・・・と。当時の教授連が支持していた団体は今じゃ某与党最大支持団体、学生たちの派閥は今は名を変え人も変わり某野党の下部団体・・・とも報道されています。
結局、箒と塵取、ですね。
旧帝大系医学部ではVIP入院患者のための買春を斡旋していた、という話もありました。先に金をもらい予約だけ取り付けて、予約を受けた人間は金を持ち逃げ、入れ替わったはいいが事情を知らない別の人間がレイプ被害・・・でも男側にしてみれば前金を渡しているわけですから強引になる。女性側にしてみればレイプ被害者なのに客を取ったことになってしまう、というか取らざるを得ない状況だったようです。
そうやって、勢力を拡大していったんですね。
こんなことを書いても私には何の得にもなりませんが。思い出したから書いただけです。
もうなんだか怨みも怒りも通り越して呆れる事しかできません。自分の置かれている状況に変化はないので。多分、私が死なないと何も終わらないし始まらないのでしょう。
本当、生まれてくるんじゃなかったし、生まれてきてごめんなさい。


とりあえず、時系列で何があったのか、時間が許される限り書いていけたら、と思っています。最初は「治る為・死なないため」に書き始めたのに、今じゃ単なる遺書代わりになってしまったようですが。


上の子が小学校一年生に上がった年です。近所に同い歳のお子さんが多く、放課後は我が家に遊びに来ていました。多い時には年下・幼稚園組・妹弟組・・・も合わせて十人以上。普段でも7~8人は集まっていたと思います。その中にHちゃんという子がいました。秋頃、確か十月だった筈です。私の目の前でいきなり上の子をHちゃんが平手打ちをしまして。「HのパパはHだけのものだから!○○ちゃん(ウチの子)にはあげないから!」と怒鳴ったんです。私も上の子も何のことやら全くわからず、とりあえずHちゃんの言い分を聞くことしかできませんでした。
Hちゃんの言い分はこうです。

・・・Hちゃんのお父さんが「パパは○○(ウチの子)のパパでもあるんだよ」と言った。朝お母さんの部屋に行ってみるとママが知らない男の人とベッドで抱き合って寝ていた。パパしか信じられないけどパパも変なことを言う。でもパパはHだけのもの、○○(ウチの子)にはあげない・・・

と。
まぁ、こっちにしてみれば本当に「お前の父親ここに呼んでこいよ!」なんですが。つうか、夫婦の痴話喧嘩に私たちを巻き込まんでくれるか?こっちはこっちで離婚届にサインして後は離婚後の養育費とかどういう時に会うか、とかそういうことを話し合いたくても主人と会えない状況で。
やっと主人が捕まったので細々としたものよりまず上の子の件だ、とHちゃんのことを話しました。すると「ほっとけ」と。
ほっとけ、じゃねぇよ。と思いましたが。
Hちゃんのママは、まぁ、元々少々問題のある方で。
朝の八時半にHちゃんの妹が三輪車に乗って家にやってくる。ウチの下の子より年齢は一つ下だったんですが「ママが○○ちゃんのママのところへ行け、って。遊ぼう」と。
ウチは保育所じゃねぇよ。
このHちゃんのママ、っていうのは何回か前に書いたんですが、子供の幼稚園のお迎えにシースルー的な緑のティンカーベルチックな超ミニワンピを着ていくような女で。昼日中人通りのある道の真ん中で「私レイプされたのぉ!」と絶叫して大泣きする女で。何事か!って表に出ましたよ、そうしたら泣くだけ泣いて隣近所の人が同情してると下向いてベロ出してニヤニヤしてて。でも、地元の有力者の嫁で。町内会長のご親族、という話でした。
こっちも我慢の限界だったしHちゃんが可哀相で「子供安心させるために夫婦同士で会わないか?」と私から申し出ました。ウチも主人を引っ張っていくから、と。かなりの譲歩だったと思いますよ、私は目の前で子供が叩かれてますからね。
そうしたらHちゃんのママが「えぇ・・・それはちょっとぉ・・・」と。
ちょっとぉ・・・じゃねぇよ。
「ごめんね、いつも世話になってぇ」と言いながらHちゃんのママが持ってきたのはヤクルト二本。そんなもんが欲しいんじゃねぇよ、そうじゃねぇよ。と怒鳴ってやろうかと思ったのですが、何しろHちゃんとウチの子は同じクラスだったので、今後を考えて我慢しました。Hちゃんの妹はそれ以降も相変わらず朝から押しかけてくるので、可哀相でしたが「ふざけんな!」と思い、わざとキツク当たって寄り付かせないようにしました。しばらく経ったら来なくなりましたね。
で、頭に来ながらも何とか生活していたのですが、翌年の二月の朝八時過ぎだったでしょうか、Hちゃんのママから電話がありまして。「Hちゃんが目を怪我した。病院に連れて行く」と。
なんでわざわざウチに電話してくるんだろう、と不思議だった、というのが本音です。午後、二時前だったかな、Hちゃんが一人でウチにやってきて。目が虚ろで朦朧とした感じでした。
「まだ○○帰ってきてないよ、後で来る?」と訊いたら「家にいたくない」と。仕方がないから家に上げて絵本とか一人で読んでましたねHちゃんは。そうこうしてる内に子供たちが帰ってきて友達とか来てHちゃんも一緒に遊んでいたんですが、夕方みんなが帰るころになっても帰ろうとしない。「Hちゃん、帰ろう?」と言うと「帰りたくない」と。
で、もうこれは虐待被害経験者としての勘、としか言いようがなかったんですが様子がおかしいので・・・というかほぼ黒だろう、と思っていろいろ聞いてみたんです。そうしたらHちゃんがポツポツ話し始めて。
「ママが怖い。目もママにやられた」と。
眼帯を外して貰って確認したのですが、左目に針で刺したような赤い傷が残っていたんです。とりあえずこのままウチに置いておくのは後で面倒なことになっても困るし泊めるわけにもいかないので「どうする?」と訊いたら「帰る」と言ってHちゃんは帰っていきました。正直、自分と同じような目に遭っている子が目の前にいて、家に帰す、ってすごい心苦しかったです。
で、その場で担任の先生に電話。用件は言いませんでした、ただ「相談に乗っていただきたいことがある」とだけ言って翌日、だったかな、の放課後に時間をとっていただきました。
「Hちゃんのことで」と切り出し、Hちゃんから聞いた話を全て担任に言いました。ついでだったので、前年の秋にウチの子がHちゃんに叩かれたことも。その流れで「ママが知らない男の人と寝てた」という話もしました。もう、どうせなら全部言っちゃえ、と。
で、まあ、担任からは定型分のような「ご報告ありがとうございます、注意してみますね」とだけ。まあ私も言うだけ言ったので後は私の責任じゃないですし。他人が学校に報告してやっただけ感謝しろよ私の時は誰も助けてくれなかったんだぞ。
ただ今思うと、他人に助けを自分から求められた、ってことはHちゃんの場合は私よりも相当軽かったんでしょうね。酷過ぎると本当に命の危険がありそうで言えないです。
で、Hちゃんの件、解決したのかというと、わかりません。何しろ、Hちゃん自身が他の子と入れ替わったので。
とにかく、私が当時のウチの子の担任にHちゃんの件を話したのが、確か三月上旬。その直後から、ウチの子のノートや教科書が教室内で失くなる・・・ということが頻繁に起こりました。机の中に入れておいたものが消える・・・ではありません。先生に提出したノートがウチの子の分だけ返ってこない、というケースです。
まあ、自分の時もそうだったんですが、教育委員会と地主とか地元の名士なんてズブズブ、ってことですね。
保育園に行けない、幼稚園に行けない、親から半分育児放棄のような扱いを受けている子・・・もウチに寄ってきては子供たちと遊んでいました。でも結局、みんなウチを利用していただけ。本当に、当時ウチに来ていた子達はウチの子が虐められていても誰も助けてはくれませんでした。関わったら面倒になる・・・と、無視。
日本を変えよう、とエリート様たちが変える事ができたのか昔から日本ってこんな感じだったのか知りませんが、情けは人のためならず、っていう言葉が全く意味を持たないものだということはよくわかりました。
恩は売るもの、なんですね。
前回の某企業のトレードマークもそうですが、他にも盗用された可能性ほぼ百パーセント、といったものもありまして。
空き巣にも入られたし実際に金も奪われたし、本当、泥棒天国・加害者天国なんだな、今の日本。
そう、実感しています。
こんなことを書いていても私を取り巻く状況は何も変わらないし、本当に「自殺」に向かっている・・・というか追い込まれているだけで、死なないように治るために書き始めたのにただの遺書になってしまっています。
私に手をかけてきた連中、子供を狙って虐げてきた連中、そんな連中が報いを受けるところをこの目で見届けたかったです。でも、どうせ逃げ延びるんでしょう。
もっと、子供たちにもしてあげたいことが沢山あったのですが、どうやらこれ以上は私を取り巻く状況が許してはくれないようです。
本当に、生まれてくるんじゃなかったし生まれてきてごめんなさい。でも、手元にいる子たちには、生まれてきてくれて本当に感謝しています。
こんなことを書いていても何にもならないし、現実の人間関係を築け、と他人は言うでしょう。でも、人間関係をぶった切られてしまっている状況でどうやって人間関係を築けばいいのかわかりません。まるで私を狙ってきていた連中が「確実に勝てて確実に対象者を殺せるゲーム」をやっているようです。
私は最近見ないのですが、子供たちは相変わらず妙な夢を見せられています。このままだと、子供たちも壊されてしまいそうです。

 

掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 41

 

最近よく考えるのが「生きた方が器用」って何なんだろう、って。
昔、仕事でも学校でも「生き方が不器用」って何度か言われた事があるんです。普通に出社して通常通りに帰宅。翌日普通に出社すると周りの人たちが昨日とよく似た別人にごっそり入れ替わってる。でも、こっちは抱えてる仕事があるんで構わずこなしてると、昨日いた上司なり先輩なりがやってくる。で、そこで「お前、まだここにいたのか?」と言われる・・・ということが度々あったんです。
こっちにしてみれば「は?」ですよ、別に泊り込んで仕事してるわけじゃないですからね。「まだいたのか」っていう言葉はそういう時に使うものだと思うんですが。
「まだいたも何も普通に朝出勤しただけですけど」と返すと大抵笑われる。そういうことじゃねぇんだよ、と。そして捨て台詞のように「不器用だな」と言われる。
こんなことが昔から度々ありました。
おそらく「まだここにいたのか」って言ってきた人は「まだその名前を使ってるのか、他の名前使って別人として暮らせばいいだろう」というようなことを言いたかったんだと思います。
でもね、子供の頃から親戚も『両親』が用意した人たちとしか接触できず、友達も『両親』がピックアップした相手じゃないと一緒にいられなくて『両親』が入れ替わったことに気付いて「おばちゃん誰?」と訊ねると殴られ暴行を受ける家で暮らしてきて、そんな私と入れ替わってくれる友達なんていませんよ。
『友達』というのも『父』から金をもらってるのか?と疑いたくなるような連中しか集まってこない。仲良くなれそうな人に会えても次の日にはまったくの別人に替わっている、そして大抵『顔のよく似た別人』は威張り腐る。そして大概が、日本人臭くない。アジア系なのですが、どことなく、韓国や中国っぽい。勘、でしかないのですが。何だろう、子供の頃によくハングルを話す人からの電話が家に掛かってきていた時期があったのですが、声の印象がそういう人たちによく似ているんです。
無理ですよ、普通の暮らしを維持していくのは。
もうこういうことを一度考え始めてしまうと、もう生きていない方がいいのかな、という思いに至ります。死なないように通院してきましたけど、私が死んでしまったほうがみんな幸せになれるんじゃなかろうか、と思ってしまいます。
子供が「人間関係・交友関係をここでは作らない」って言ってたのって、これかぁ・・・って。
私を利用するだけ利用して棄てるんだな、と。本当に死にたい、っていうのを通り越して「生まれてくるんじゃなかった」って思います。生まれてこなければよかった、って。新興宗教にかぶれてる人なんかはこういう時「でも生まれてきたからこそ喜びも幸せもあったでしょう」って定型文のように使いますが、はっきり言って最初から生まれてこなければ無なんだから幸せも何もなくて囚われるものも何もなくてその方が楽でいいよ、っていうのが本音です。それ以上の苦しみがあったわけですから。
実の親も知らない、実の子とも引き離されてどこで生きているのか生きているのかすらわからない。手元にいる子は可愛いです、でも、最終的にはこの子達にも利用されて終わる将来しか待ち構えていない。
創価学会に入信しないと生きてちゃいけないんですかねぇ。
新小岩の駅のホームドアの設置工事が始まるようですけど、私たちどこで死ねばいいんでしょう?飛び込むつもりはないですし、電車への飛び込み自殺って本当に周りに迷惑かけるだけだし残された家族が本当に苦しむので私はやるつもりはないんですが、でもあの場所が存在していてくれるだけでかなり私には安心できるんですよ。
死んでもいいんだ、死ねる場所もある、でも死ぬのは今じゃないよな・・・っていうので辛うじて心の平穏を保ってきた部分もあるんです。変な話、新小岩はある意味パワースポットですよ。自分の環境に恵まれている人(仕事でも人間関係でも良好)は「新小岩ディストピア」と言って楽しんでいるようですが、私のような者にとってはあの場所が存在していてくれているだけで助かるんです。
こんなことを言っても、恵まれている人たちにとっては「こういうことを言っている私自身」が指をさして笑う対象なんでしょうね、きっと。
ホームドア設置してる暇があるなら、どうして私のように追い詰められている人間が発生してしまったのか、その原因と理由を明確にしてちゃんと日本人が普通の生活を送れるようにして欲しいですけど。


今まで、わかる人が読めば誰のことか薄っすらとわかる、という書き方に気を使ってきました・・・結構深いところ書いてましたけど。それでも、どこかに遠慮があったんですけど、どうせ壁打ちですし誰も読んでいないだろうし、はてなスターを気紛れでたまにつけてくれる人いますけど、それだってご自分のブログの閲覧者数増やしたくて適当につけてる可能性だってありますし、そもそも私の実話としてどうせ誰も読んでないだろう、と思ってます。
みんな入れ替われるようですからねぇ・・・私が「別人の実体験を実話風に書いてる」って考えてらっしゃる方もいらっしゃると思います。どうせ信じてないでしょ?
病院行っても警察行っても不思議だなって思うのは「みんな実体験よりもドキュメント風フィクション」の方が感情移入し易いんだな、ってことです。そっちの方が信じるんですよね、嘘なのに。
子供の頃もそうでしたし、私が「自分が本当に経験したこと(殴られた、とか暴行を受けた、とか)」を話しても全部否定されてきましたから。なんかもう、私の言うことは信じるな無視しろ助けるな、っていう指示がどこかから出てるんでしょうか?そう疑いたくなるほどです。
どうせ誰も信じて読んでないだろうから、今まで書くのは控えていたことが結構あるんです。結婚してからのことで。なので、もう遠慮せずに書きます。
子供が生まれて一年程経った頃でしょうか、主人がある在京主要キー局のロゴマークを私に見せてきました。「これ描いた?」って。本音を言うと見覚えはあったんです、でも私の線ではなかった。だから「その絵は描いてない」って否定したんです、描いてないですしね。でもそのマークは私が高校一年の時に描いた絵とそっくりだったんですよ、帽子の位置とかどちら側の手にステッキを持たせた、とか。私の通っていた・・・というか行かされていた高校って二年からコース別にクラス編成しなおすんで二年次にクラス替えがあるんですね。なので一年次のクラスの文集を作ろう、と担任が言い出して作ったんですが、そこに描いた絵そっくりなんです。おそらく私の絵を丸パクリしてトレスしたんだと思います。私はボールペンで描いたんですが、T×Sのマークの方は太線(マジックとか)で描いたようなタッチで。
当然誰がパクったのかそんな情報は私のところには入ってきません、盗用されたルートがわからないんですね。第一、高一の二月だか三月に描いてその文集自体捨てはしなかったけれど押入れに放置したままだったんですよ。主人は「描いた?」って私のところに持ってきたんですから知ってる筈なんですが、それっきりその話は出さず。しばらく行方不明になってました。よく似た別人が主人の代わりに来てましたけどね。こっちは子供の頃から「別人」と指摘すると殴られてきたので何も言えませんよ怖くて。子供に手を出されても困りますから。
で、面白いのがTV点けて例のT×Sのロゴを見ながら「パクりだよなぁ・・・」と私が言うとその度にマイナーチェンジしていくんですね。帽子の部分がアンテナになったり。盗聴されてる可能性、限りなく黒ですよね、これ。
正直に言うと、私も主人のことを信用していなかったんです。
『母』と主人が何やら善からぬ話をしているところに遭遇したこともありますし。私を利用して殺そうとしてきた連中ですからね、また私を殺す算段をしているんだろう、ぐらいは一目でわかりますよこっちは。それに、主人と『両親』はどうやら私が紹介する以前からの知り合いだったようなのです。物的証拠はありません、でも、会話とか視線とか雰囲気でそう感じた、としか言えないのですが。
もし私の勘通りに主人と『両親』がすでに知り合いだったのなら、『母』のお手つきの男が私の高校に教員として出入りできてましたし、私が描いた絵を入手するのは簡単でしょうし主人が「描いた?」と私に訊いてくるだけの情報を持っていた、ということなのでしょう。
で、なぜそれがT×Sのマークとして使われていたのかわからないんですけどね。
最近あのマーク使ってるんでしょうか?この間久しぶりにT×Sのニュースサイトに飛んだら、なんか鷹の爪みたいな焼肉屋のマークみたいなのが社名の横にありましたけど。
でもこれ、パクリが立証されたら、デザイン料慰謝料、で結構な額になると思うんですよね。現時点で昔のマークを使っていなくとも確実に過去には使っていたわけで。我が家にもその局のマーク入り円盤等がありますが、もう、使っちゃってるんですよねぇ・・・。
これ、パクリ立証できたら、本当に犯罪ですよねぇ。
まぁ、相手が私だから、という理由で徹底的に無視されるか最悪殺されるかのどちらかだと思います。後は・・・虚偽罪とか私が精神科に通院していることを理由に私に虚言癖がある、とか言い出しそうですね。
去年とか「もうほんと十億で手を打ってやるからデザイン料払えよ金返せよT×S」って家の中で零したんです、つうか頻繁に零してました。そうしたら、去年話の二転三転する「拉致されて強制売春させられていた」被害者団体に十億振り込まれたんですが、この奇妙な一致何なんでしょうね。ちなみに私のところには当然ですがT×Sから一円もきていません。
ほんと、確実に起こったことが「無かった事」にされてこっちが「頭の狂った人・嘘吐き」扱いされていくのって、結構きますよ。最初はどうしてこうなってるんだろう?ってひたすら不思議なんですが、それが度重なると頭にきて、それを通り越すと狂わないようにするのが必死になってくる。更にそこを過ぎると、日常生活を営むことに必死になってくる。

今、不動産屋からこの家賃貸なんですがその更新の連絡が来ました。家は保証人・緊急連絡先に・・・屈辱でしたが戸籍上の身内の名前を使わざるを得なくて『弟』に頼んでました。でも、そことも今連絡が取れず、このままだと最悪の場合転居になるんですが。
不動産屋からは友達の名前でいい・・・と仰っていただいてんですが、こんな状況下でこういうことを頼める友人など居らず。本当に天涯孤独です。
これはもう、一家心中しかないかな、本当に。こんなこと、相談できる人もいないですよ。頼れる人もいないですしね。
本当、生まれてくるんじゃなかった、って。
誰か助けてください、なんてことを望んでもそんな出会いも無いと思います。私の命もあと二週間だな、って。どんなに保っても。
子供も、もうすぐ高校なのに。
虐められて不登校になって、私と同じように狙われて、それでも何とか頑張ってやり直してるのに。
子供たちも、あと二週間なんですね。
何か本当、私の子供でごめんなさい。

掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 40

 

前々回、離婚したところまで書いたので、その後を。
子供二人を連れて、なんとか細々とでも生活していけるようになり、仕事も決まり、順調ではないですが辛うじて生活のめどが立ち。
子供がまだ小さかったので放課後は『実家』に子供たちを頼んでいました。仕方なかった、というのが本音ですし、子供たちに形だけでも「おじいちゃんおばあちゃんに囲まれる時間」を味わって欲しかった。この頃『両親』は子供たちに手を挙げるような人ではなく、まぁ何人も入れ替わってましたけどね。
とりあえずは一安心、でした。
鍵を持たせて留守番させればいいだろう、と言う人もいました。でも、我が家は何度も空き巣被害に遭い、治安もそんなにいい場所ではなかったんです。もし、私のいない間に子供たちに万が一のことがあったら・・・と思うとたとえ子供たちが怖がって懐かない相手でも戸籍上の『身内』にお願いしていた方がまだ安心できた、というのもあります。

・・・ちょうどこのブログを書き始めてから一年ぐらい経つ、と思いますが、このブログ書いて私は何をやっているんだろう、と思います。正直、状況なんて全く変わってないし好転してないし。周囲から仕組まれたように取り残されてお終いだし。数字操作だとか別にいいものでも何でもないのに「天才」とかTVなんかで持ち上げてるのを見ると宗教臭くて違和感ありますし持ち上げられてる連中見てると「あぁ、昔学校でいかにもDQNって感じの連中ってこんなんだったよなぁ・・・」って。非行防止・被害者を作らない・加害者予備軍を品行方正に育ててあげるための国策なのか知りませんが、その分私みたいに虐待されて育って実際の犯人は捕まらない・・・という状況は腐るほどある、と思ってます。
冤罪や身代わり出頭は別に望んでいません、でも『両親』がころころと入れ替わっていたように、その数だけ戸籍があり人がいるわけですから。
レイプ・虐待だけではなく、私の場合、『両親』から複数回の殺人未遂事件の被害者でもあるんですが。要は、何度も殺されかかってる、ってことです。
読む人が読めば私が誰なのか特定できるとは思います。現に、今朝八時半ぐらいだったでしょうか、玄関前で足音が止まりしばらくそのまま動かず、そしてまた去っていった人がいました。顔をこちらも見られたら後でいつぞやのストーカーのように家まで押しかけられても車で轢き殺されそうになっても困るので玄関を薄く開けて後姿だけ確認したのですが、茶色いコートを着た五十代ぐらいの背の低い(身長150㎝程度)女性に見えました。怖いです、正直、怖かったです。警察にすぐに連絡すればいいのかもしれませんが、小さなことで騒ぎ立てて近所から白い目で見られても暮らしにくくなるし何より被害者が加害者のような取調べを受けるようなあの聞き込みは何とかなりませんか?精神的にまいります。
もう、本当に、穏やかに、死なないで子供たちを育てていくので精一杯なので、何事もない日々が欲しいです。
そんなことを望んでもこんな治安の悪い場所では宝くじで10億当てるよりも難しいでしょうけれど。だいぶ前ですが、隣家も空き巣に入られていたようで、一度「20~30本程度の鍵を束にして持っている男」が隣家の玄関に何度も鍵を差込んでは玄関を開けようとトライしていました。それはこのマンションの管理会社にも話してありますが。その一件以来隣家も我が家も鍵を変えたのですが、それでも誰かが忍び込んだような痕跡は見つかりますし。たまにですけどね。
本当に怖いです。私を虐待してきた『両親』や利用しようとして近づいてきた連中・ストーカーなんか全部グルなんじゃないか、とすら思えてきます。『父』が『母』に私を虐待させてきたのも「俺が直接手を下すと俺に懐かなくなるから困る」と言っていましたし。
私を『父』シリーズの誰かと入籍させて『母』たちと巧く私を利用しようとした・・・と考えるのが一番矛盾がないんですが。『父』が昔言っていました「女の子は父親と結婚するのが一番幸せになれる」と。なんて時代錯誤で馬鹿馬鹿しい話なんだろう、と子供心に思いましたが。
ごめんなさい、ちょっと気が動転してしまい、続きが書けそうにありません。

 

掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 39

ストーカーや身の回りに不審な人物が現れる、過度な嫌がらせ等を受けずに平穏に暮らせたのは上の子を妊娠中、だけだったでしょうか。
当時、私は戸籍だけを『実家』に残し最小限の荷物だけをもって主人の家に転がり込んでいました。ほとんど同棲状態ですね。
この時だけは、身辺に危険が生じる、と言ったことが無く。隣家が変わった人で昼間から一升瓶を開けている無職の五十代から六十代の男性一人暮らし。同じアパートに主人の先輩(元自衛官)が住んでいて大家さんも主人の会社の社長の友人・・・といった環境のおかげだったかもしれません。今まで生きてきた中で一番穏やかに過ごせた時だったかもしれません。まぁ、極貧でしたけど。
本音を言うと、生まれても出生届を出さない方がいいんじゃ・・・とは考えました。でも現実問題そんなの無理で。
孫が生まれれば少しは変わるかな、と甘い期待があったのも事実です。子供の頃から「どうして親がいるのに親のいない子のように育てられねばならないのか」ってずっと思ってましたから。甘えてたんですねきっと、温かい家庭、っていうのが欲しかったんです私も人並みに。
主人の方も早くに両親を亡くし、親戚・兄弟はいたけれど頼れる人も無く。半分仕方なく、諦め、ですかね。『実家』に話して入籍して出産しましたが。
そのまま家を出ればよかったじゃないか?と思われるでしょうが、世間話ができる程度の知人はいたけれど困ったときに助けてもらえる、助け合える友人がいなかったんです。何しろ私の場合、仲良く付き合えそうな人と知り合いになれても次の日にはよく似た別人が群がってくる・・・という状況だったので。
なんだか組織的に交友関係をぶった切られてきた、という印象です。
主人の実家は北陸の古い家で、地元では名家として知られていたようですが、舅は主人が中学生の頃に自死、自宅で首を吊りその第一発見者が当時中学生だった主人・・・と聞きました。
遺書は残されていなかったそうです。なので具体的な原因・理由はわからないのですが思い当たる節はあったようで。
自殺の前日、姑が仕事で知り合った男性と交際していたことが発覚し、舅・姑・間男の三者で話し合いの場が設けられたそうです。間男を実際に見た主人の感想は「もっさりとしていて熊みたいな男」というものだったそうです。なんで母親がこんな男と?と。まぁ、母親を奪った相手、という恨みつらみを抜きにしてもあまりいい感じはしなかった、と言っていました。
で、その翌日に自殺をしてしまった、ということなんですが。
そのまま姑は行方不明、相手の間男も葬式にも来ず消息不明になったそうです。数年後、姑は発見されたそうですが。
田舎の名家でスキャンダルがあれば、相当暮らしにくくなるであろうことは私にも想像できます。ですがこの話を初めて聞いたときに、私は違和感を覚えました。
まず、自殺の前日の三者での話し合いの場・・・仲介人・仲人・友人・親戚の家ではなく、主人の実家だったんです。間男が「お邪魔します」と夕飯時にやってきたそうなんですよ、この時に主人はこの間男を見てるわけですね。「うちの嫁に手を出しやがって!」と怒鳴りこんでいないんです、当主として迎え入れているわけですね舅は。
これ・・・まぁ、世間体を気にしたのかも知れませんがそれでも友好的に話をまとめようとしていたんじゃないか、って思うんです。
ところが、翌日に突然死んでしまった。突発的だったのかも知れません、限界だったのか、緊張や我慢していたものが翌日になって一気に押し寄せて無意識にやっちゃったのかも知れません。
でもね、この話を初めて聞いたとき、私は他人事に思えなかったんです。
以前、このブログの何回目で書いたのか覚えていないんですが、私の戸籍上の『実家』も名前だけなら名家でした。『父』の方は大正天皇崩御後皇后を匿っていた、という話が残っており、『母』方の遠縁には明治天皇がいる・・・という家で。戸籍上だけですけどね。高校の時に『実家』から盗まれたものがあって、その時の加害者側の言い分は「皇室なんていまどき古いんだよ!俺たちが新しい時代を作ってやる!」的な言葉だったんですが。私の幼稚園時代の見合いツアーも『母』が可愛そうな人たちだから結婚してあげないといけない、と私に言って聞かせまして。
つまり何が言いたいのか、というと、舅の死に三つの可能性が考えられるな、と。
本当に自殺だった、「背乗り」を要求してきた相手の男に殺された(つまり戸籍上は夫婦のままで舅の名前を間男が使う)、「背乗り」を要求されたが家を守るために自決・・・と、なんだか昔の二時間ドラマみたいですが可能性として否定はできないな、と思っています。特に今の日本の状況を考えると。
舅が「自殺」した年の夏です、私が初めてレイプされたの。

話が前後してしまいましたが、上の子出産後から離婚までの間、って覚えてはいるけれど孤独ではなかった、というか。まぁ、主人も子供もいたし幸せだったんでしょうね、長閑で。殴られることもないし割と本音で話せた時間、でした。
空き巣被害だのはありましたが。
前にも書きましたがこの時期にあったことを簡単に書くと「子供が満一歳の時にデブのJKに腕をひねられて病院に行った、交番に駆け込んだら信じてもらえなかった、ポリオの接種の時にうちの子にだけ違うアンプルで過剰な副反応で保健所に電話してもまともに応対してもらえなかった、某超大手新興宗教団体(?宗教法人認可されていない、という話もありますが)からのしつこい勧誘、空き巣被害、盗聴・盗撮被害疑惑(警察からほぼクロだから見つけてくれ、と頼まれた)、車のタイヤを刃物で切られた、上の子のツベルクリン反応の際に確実に陰性の反応だったのに医師がつねり叩き皮膚の赤い腫れを大きくし陽性反応を捏造し地元の総合病院送りにされた」・・・と、数え上げればキリがないのですが、一番身の危険を感じたのは二人目懐妊中でした。
上の子を連れてバスで産婦人科まで通院していたのですが、バスの運転手の態度が(というか人柄や人相も)がらりと変わり、バス停で降りようとすると降ろしてくれないで通り過ぎようとする(実際に降ろしてくれなかったこともありました)「降ります」と叫ぶと「乗ってくんじゃねぇよ!」と叫ばれる。乗車料金を払うときに運転手から舌打ち、睨まれる、暴言を吐かれる・・・と。そしておかしかったのが車内の乗客の誰もがまるで示し合わせたように無言を貫く。道を歩いていれば向かいから来た車が猛スピードで私に直進してくる。避けても寄ってくる、そしてギリギリのところで止まる、もしくは睨み暴言を吐きながら走り去っていく・・・ということが多かったですね。ストレスで切迫早産になりかかり、絶対安静・入院・・・を医者から勧められたのですが上の子を置いて入院できないですよ。やっぱり、当時の『実家』は『父』も『母』も入れ替わり特におかしな目には遭っていませんでしたが「私がいない状態」というのが何を引き起こすのか全く分からない。私の目の届かないところで上の子が何をされるかわからない。だから、強引に帰ってきました。
何とか2~3日大人しくしていただけで普通に戻りましたが、私が切迫早産起こしかけて倒れた時も『母』は「サボるな寝てるな甘えてんじゃない!」って怒鳴りましたから・・・まぁ、グルだったのかな、と。敵しかいない状態、といった感じでした。これでもまだ情報が少しは入ってきていたし、本当に親戚・友人・知人、と言ったものから切り離されてきたので頼れる人も他にいなくて、『実家』しかなかったんですね。
昔、従妹同士・遠縁同士で入れ替われる人の話を聞いたことがあります。「どうやって入れ替わるの?」と。「親が指示する」って言ったんですねその人。そりゃぁそうだろう、って思いますよ。だから『母』に暴言を吐かれたり暴力を受けた後「早くどっか行っちゃいなさいよ!」と言われることがあったのですが、『親』ならお前がやるんだろそういうこと!って小さいころはよく思ってました。誰も何もしなかったんですね、上辺だけ育児放棄に見られないようにイイ『両親』を装い責任を取らない人たちで。
一度、小学校の時だったと思います、どうにも我慢が出来なくなって「どうして親がいるのに親のいない子みたいに育てられなきゃならないんだ!」って泣きながら叫んだことがあるのですが「自分の子を犠牲にして他所の子を助けなきゃならないのが理解できないわよ!」と逆に『母』に叫ばれまして。
じゃあ私が「ピアノ習いたい」って言ったのに私の実家から金をせびって自分たちの実の娘にピアノを習わせてたのは何なんだよ。ふざけんな。
・・・と、言えなかったですね、呆れて。
本音を言うと、『両親』には名前しか価値が無かったです、私の中では。家を借りるときに保証人になってもらう、幼稚園・学校に提出する用の緊急連絡先、そんなところです。あとは、まぁ、下の子を産むときに上の子を連れて入院できなかったのでその時に上の子を預けた・・・それはお世話にはなったと思ってます。でも、何人もで入れ替わってたんですけどね『両親』は。
なんだかどうでもいい愚痴ばかりでこうやって見ると私が『両親』を利用してきたように思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、形だけでも自分の子に「おじいちゃんとおばあちゃん」に囲まれて可愛がられる、ということを味わってほしかった。それと、自分には祖父母にかわいがってもらったことが無いので子供には。後は、自分が落ち着いて穏やかな生活を送りたかった。子供を産んで『両親』から私も子供も虐待されない時間をやり直したかった。
結局、甘かったんですね、私が。
他人なんて情けかけたり信じたり「もしかしたらいい方向に変わるかも」なんて期待するもんじゃないですね。
子供も最近、自分の世界や外とのつながりを作り始めていて、家の中で兄弟で結託して私を陥れることをやり始めるようになりました。どうしようもなく落ち込んでしまっているときに敢えて私を励ましてくれるんですが、私が少しでも気を持ち直すと、途端に手のひらを返す。他の家で『母役』に嫌がらせを受けたようなのですが、そのことを私のせいにして文句を言う。「どこの家に行ったんだ?どこで何をしていたんだ?アンタがいない間に来ていた子は誰だ?」と訊くと泣き始める。「どうしてそんなことを言うんだ」と。とりあえずなだめると、後ろを向いてベロを出してニヤニヤしている。
こんなことの繰り返しです。
やっぱり、産むよりも育てる方が難しいし大変だし、自分の子は産婦人科で他の子とすり替えられましたが(二人とも)、自分の産んだ子を忘れたことはないけれどそれ以上に目の前にいる子に幸せになってほしいと思って育ててきましたが、血が繋がらないとやっぱりみんな私を踏み台にして逃げるんですね。
でもね、虐待しようとは思えないんですよ。自分が『両親』みたいなクソになっちゃいけない、じゃなくて、やっぱり可愛いんですよね。これじゃ私がただの馬鹿みたいですが。