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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 3

 

 

 

前回の話から少し時間が遡ってしまうのですが、まだ「妹」が生きていた頃の事で書き忘れていたことを思い出したので、それを書いておこうと思います。

「母」に連れられて歩いているときに、その辺の同い年ぐらいの子供たちが楽しそうに遊んでいるのを私はいつも羨ましく思っていました。あんな風に、みんなで楽しく遊びたいな、と。

二年保育の幼稚園に入れなくなってから(前回書きましたが)「妹」が亡くなる間の事です。

私は「母」に、他の子達のように近所の子と一緒に遊びたい、と訴えました。すると「母」はあからさまに嫌な顔をしました。よくその辺で見る遊んでいる子達は別の子達だから、と言いました。【何がどう別】なのかわからなかったのですが、後日「母」は「遊んでいい子達を用意した」と言ったのです。そして、この子達と遊ぶように、と言われました。

その「母が用意した子達」は、それまで私が遠巻きに眺めていた子達とは目つきも顔つきも全く違う子達でした。この近所のどこにこんな子達が住んでいたのだろう、と私は驚きました。その中には(前回書いた)あゆみちゃんとその弟もいました。

リーダー格の体格のいい男の子が居て、「お前は今日は初めてだからそこで見てろ」と私に言いました。そして残りのメンバーでじゃんけんをして、あゆみちゃんの弟が負けました。鬼ごっこでもするのかな、と思っていたのですが、彼らの遊びは私の想像を超えていました。

私は、近所の友達と仲良く遊びたかったのです。それなのに彼らの【遊び】は誰か一人スケープゴートをつくり、その一人を集団で虐める事でした。

とにかく、会話が無理、その集団の雰囲気が肌に合わない。それでも私は初めて出来た【近所の友達】を離したくなくてその集団にくっ付いて歩いていました。でも、殴ったり蹴ったり、ということは出来ませんでした。

ある日、私がスケープゴートになりました。

理由もなく叩かれる、地面に叩きつけられる、集団で蹴られる。はっきり言って、最低な連中だったと思っています。今思うとDQNってヤツですね、虐める事が楽しい、そういう連中。

私は我慢できなくなり泣いて家に帰りました。家に帰ると「母」が嬉しそうに笑いました。「だから、近所の友達なんて要らないのよ」って。それから私は幼稚園に上がるまで、誰とも遊ばず家に引きこもっていたように思います。みんなが普通に【幼馴染】というものを持っているのに、私にはそんな友達が一人もいませんでした。

 

幼稚園に上がってからは、担任の先生が嫌いだった、ということと、担任が嫌でどうしようもなくてボイコットして他のクラスに逃げ込んだ事もあったぐらいで、特に問題は無かったと思います。担任は「母」を嫌っていたようでしたが。仲の良い友達も出来ました。でも、親同士の付き合いで、結局クラスの中心的な女の子に勝手にグループ分けをされ、仲の良い子とは好きなように話せず、「母」も親同士の付き合いから疎外されていたように思います。お金持ちの家の方にとって、あの頃は家の大きさとか所有財産のランクで付き合う人間が決まっていた時代でした。少なくとも、私の子供時代の周りではそうでした。今も【金とコネ】の世の中ですが。

その頃よく『父』に連れて行かれたのはパチンコ屋でした。何故か経営者やパチンコ店主と仲が良かったですね、初めは単なる常連だからなのかな、と思っていたのですが、子供でも何となくそれだけが理由じゃないだろうと感じていました。大人になった今は何となくその理由に察しが付くのですが、はっきりとはわかりません。

あとは、夕飯のたびに日本酒を飲まされていました。飲む、といってもお猪口一杯ほどでしたが。「お前が興味を持って飲みたがったからだ」と『父』は言っていましたが、普通の神経で考えたら子供にアホみたいに飲ませないですよね。

それから、『父』が私をよく連れて行ったのは、当時地元の県会議員だった方の事務所でした。その方は後に国政に出られて、まあそこそこ有名な方になりましたが、何故か『父』と知り合いでした。『父』は今で言うゼネコン屋でしたので、その繋がりがあったのかも知れません。この県会議員の方は『父』より年上の方でしたが、とても優しくて私はすぐに懐きました。

ゼネコン屋の『娘』でいると、「先生の娘さん」と呼ばれ子ども扱いされないんですよ、取引先の方たちに。

『父』を「先生」と呼んで崇め、『娘』の私にも土下座して頭を下げて「宜しくお願いします」と言う。非常に居心地の悪い、今考えると子供の教育上どうなんだろ?というような環境で育った私にとって、その県会議員の方は初めて私を「普通の子供」として扱ってくださった方でした。

例えば、『父』の取引先の家にお邪魔すると私用に別のお茶菓子を用意してくれます、大体ショートケーキでしたね。後はデパートで売っている様な高級チョコレート。

「先生の娘さん」のご機嫌を取るために、やれ玩具だのTVだの絵本だのでもてなす。

ところが、その県会議員の方は煎餅やあられの大袋を目の前で菓子皿にドバーっと空けて「これとこれは唐辛子が付いてて辛いけどこの辺なら大丈夫だから。好きに自分で選んで」と言って放っておいてくれる。

楽でした。本当に気楽で。議員の方も気さくで。

あの頃一番大好きな大人、といったら、その議員の方でした。

その議員事務所の前でひとりの男の子に会いました。歳は私よりも一つか二つ上だったと思います。背は、私よりも低かった。

その頃の私は幼稚園でも近所でも何も考えずに気楽に遊べる友達がいなかったので、その男の子を見たときは「やっと私にも普通に遊べて話せる友達が出来る」と思いました。

初対面だったのに仲良く会話をしていて『父』は驚いたようでした。

そのことを家に帰ってから『父』が『母』に話すと、『母』はしばらく考えた後「使える」と言いました。この時の男の子を『Bくん』としておきます。

ある日、確か夏休みに入るか入らないか、という時期だったと思います。

私が一番懐いていた『父(遊園地で置き去りにされた時に私を保護してくれた、前々回で他の『父』たちと分けるためにAとした)』に連れられてその議員の方の事務所に行った時です。

事務所の中がいつもと違っていました。

事務員のオバサンも、秘書の方も、似ているけど違う。どことなく暗くて雰囲気としては『母』が私に用意した「近所の友達」に近い雰囲気でした。それに、議員の方も全くの別人だったのです。暗くて、厭な感じの人でした。『Aの父』もおかしいと感じたようですが、すぐに帰る訳にもいかなくて、本当は私はすぐにでも帰りたかったんですけど。

その議員の方に成済ました男は「○○ちゃん(私の名前)をこの辺り一帯を仕切っている『殿様』に差し出せ。その『殿様』の子供を産んでから『殿様』が用意した男と結婚しろ」と。

『Aの父』は「ふざけるな、そんなの人身売買じゃないか!」と立ち上がって怒鳴りました。

すると議員の方に成済ました男は「この辺の人間はみんなそうやって生きてきたんだ!お前らだけ特別って訳にはいかない!」と怒鳴り返してきたのです。

この会話の意味は大人になってからわかりました。でも、この会話が目の前で繰り広げられた時は私も呆然としていて、ただ何を二人が言っていたのか、その言葉だけはしっかりと覚えています。

議員に成済ました男は「今すぐに返事しろとは言わない、しばらく考えろ」と言いました。不服そうに『Aの父』は私の手を引いて議員事務所を後にしました。帰り際、とても楽しそうにニヤニヤしながらこちらを見ていた、その成済ましの男と事務員のオバサンの顔が忘れられません。その後も、この時の「事務員のオバサン」の顔は私の人生の要所要所で嫌がらせや邪魔をしてきます。似顔絵描いたほうがいいですかね?

家に帰ると、会ったことのない『母』がいました。『Aの父』がいるときは『母』も私が一番懐いていた『Aの母』がいるものなのですが、この時は初めて会った『母』でした。

『Aの父』は荒れて昼間議員事務所であったことを洗いざらい『母』に話しました。すると『母』は「ちょっと待って、それウチのことなの」と言ったのです。

『Aの父』は信じられないようで「証拠を見せてみろ」と言いました。すると『母』は綺麗な木の箱を取り出して蓋を開けました。中には【貝合わせ】と思しきものが入っていて、貝殻の内側に金色で絵が描いてありました。箱の蓋には子供でも読める字で(当時私は幼稚園年長児です)【徳川家】と書いてありました。

『Aの父』は信じてしまったようです。ですが、今考えると【徳川家に代々伝わるものにしては箱が綺麗過ぎる】ということと、子供でも読める字で書いてあったことが、ちょっと胡散臭いな、と思うのです。

この時から、しばらく、私の不思議な見合いツアーが始まりました。仕切っていたのは『母』です。

『母』が言うには「議員事務所で会った男の子がどうしても○○(私の名前)ちゃんと結婚したいって言うから、その為に他の人と結婚しないといけない」ということと「これからお見合いをする人たちは可哀想な人たちだから結婚してあげないといけない」と言われました。

今思い出すと、本当にクソいい加減な『両親』たちばかりだったな、と思います。『両親』たちばかりでなく周りに集まってきていた大人たちもどうしようもないクズばかりだったんだな、と。

大体、私の意志を無視して見合いに連れて行くのもどうかと思うし、「あの子と結婚したい」と言った子供の言う通りに大人が私をどうにかしようと考えるのがそもそもおかしい、というか、時代錯誤というか、人権侵害というか狂ってる。ふざけんな、ってのが本音です。

長くなるので一旦ココで切りますが、ここから始まった見合いツアーで【公になれば警察が動いても児童相談所が指導に動いてもおかしくない】んじゃないか、ってことが続きます。

本当に、この頃に施設に保護してもらっていたらまだ私の人生今よりもマシだったんじゃないかな、って思います。