掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 7

 


ここまで書いてきて、自分はつくづく可哀想な子だったのかそれとも運が良かったのかわからなくなります。
毎年どこかで【親からの虐待】が理由で命を落とす子供が多くいますが、私もいつ殺されてもおかしくなかったので、恵まれているのか(虐待されていて恵まれているも無いと思いますが)運が良かったのか、どちらなんだろうって。
ただ、みんな親がいて親に甘えたり一緒に買い物に行ったり遊びに行ったりして、仲の良い親子、っていうのが普通だったんですが、どうして私は親がいるのに親の居ない子のように育てられなければならないんだろう、ってずっと不思議でした。
旅行に連れて行かれても「お前を連れて行くと面白いから」って、開発がてら、でしたね。辺鄙な田舎町で私がどのように遊ぶかを観察して、それを元に開発していく。仕事が入っても金が入っても、目の前で図面引いてるのに最後のサイン・・・図面には設計者のサインなり社判を押すんですけど別名義でしたね。「これはこっちに金を入れないといけないから」って『父』は言ってましたけど。あとは空欄のままでどこかへ持って行ってそこで別会社の判を押すそうです。だから、大人になってから【どうしてウチはあれだけ目の前で仕事してこの件は幾らって言ってたのにこんなに金が無いんだろう】って不思議でした。どこへ金を持っていっていたのか私は確認していないのでこれ以上は何とも言えないんですが。節税対策、と言えば聞こえはいいですが多分違うだろう、と。私がピアノを習いたかったのに、どこかから金だけ貰って私には習わせてくれなかった。『母』が「○○(私の名前)が習ってることにしてウチの子に習わせればいいわね」って言ってましたし、近所では【私がピアノを習っている】ことにされていましたから。その前例があるので、恐らく、別名義で金をストックしていたのだろう、と。若しくは、私が会った事の無い『両親』たちの本当の子供と暮らす為の生活資金にしていたのかな、なんて想像してしまいます。
とにかく、玩具というか道具だったんだと思います、『両親』にとって私は。

【かすみかいかん】という所での見合いから二ヶ月程経った頃だった筈です。八月の下旬か、九月の休日だったか。『母』の遠縁の家の法事があるから、と言われて埼玉県のとある場所へ連れて行かれました。
埼玉県の行田か熊谷だったか、ちょっと今記憶が朧気なんですが、行田か熊谷の駅前に【星川】という川がありました。とてもきれいな川で、街中を流れているのに天然の蜆がゴロゴロ転がっているような川でした。当然浅瀬で水の流れが緩やかなところならば水遊びが出来る。『母』の『兄』(戸籍上母方の伯父)がその辺りに住んでいて、何度か連れて行ってもらったことがあります。地元では水がきれいで天気のいい日は空の星を鏡のように映すから別名【天の川】とも呼ばれている、と『伯父』に聞きました。
その、【星川】の本当の上流、源流に近い場所だったそうです。道路は舗装されていない剥きだしの土、申し訳程度に電線があって、昔の横溝正史作品の映画の舞台のような場所でした。
『母』が「あそこが伯母さんの家で法事をやっている家」と教わりました。その家はとても大きくて、本当に日本映画に出てくるお屋敷そのもの、といった佇まいで。かなりデカイ、デパートやスーパーで屋上から【クリアランスセール】なんていう垂れ幕掛けてますよね、アレぐらい大きい看板が門の前に立っていて【三十三回忌】と書かれていました。家の名前は『母』の旧姓でもなく、初めて知った名字でした。なんていう名字だったか覚えていないんですが。家紋が、鶴とか、なんか鳥だったのは覚えています。
キレイな川が流れていました。そこが【星川】の上流だ、と教わって。ちょっと肌寒いけど今日ならまだ泳げるから、とスクール水着を借りて「泳いで来い」と言われました。
その時に、一人のオバサンが慌てて走ってきました。
「アンタのこと探してたんだよ、どうしても言いたいことがあって。アンタはここに居ていい子じゃないんだよ、逃げな、あれはアンタの本当のお母さんじゃないんだよ」と、私に縋りつくように真剣に訴えてきました。私にはどうしてもそれが嘘を付いているようには思えなかった。それどころか、やっと本当のことをいってくれる人に会えた、と思いました。
今まで『母』がよく似た別の人と入れ替わって他の小母さんが来た時に「さっきのオバサンはどこへ行ったの?オバサンの名前は?」と聞くと怒鳴られたり殴られたりしてきましたから。「入れ替わってないわよ!さっきの人と私は同じ人でしょう!」ってキレられてきましたから。だから、「逃げろ」と真剣に言ってきたオバサンが嘘をついているようにはどうしても思えなかった。そうしたら『母』と同い年ぐらいの女性がそのオバサンをどこかへ連れて行ってしまいました。「もう言いたいこと言えたからいいでしょ?」って。この時にオバサンを連れて行った女性には、以前に『父』方の遠縁の人として一度会っている筈なんです。もしかすると別人なのかも知れません、でも、よく似ていました。そのことはまた改めて書きますが。
オバサンが連れて行かれてから入れ替わるように『シイナ』がやってきました。【かすみかいかん】での見合いのときに私に結婚相手を見つけろ、と言った人物です。『シイナ』は「久しぶり、おじちゃんのこと覚えているか?」と訊いてきました。私は軽く頷いたと思うのですが『シイナ』は「子供だから覚えていないか」と言って勝手に笑っていました。で、「泳いでこい」と。向こう岸に年の近いのがいっぱいいるから、あの子達のところまで泳いで一緒に遊んで来い、と。
前にも書きましたが、私には同年代の友達がいませんでした。『母』が用意した子達としか遊べなかったし、幼稚園でも好きな子と一緒にいられる訳ではなかったんです。当時から、親同士の付き合いがそのまま子供の交友関係にモロに影響が出ていたんですね。だから、普通に嬉しかった。
泳いで私はその『一緒に遊んでいい子達』のところまで行きました。ところが、そこにいたのもやっぱり『母』が用意したガラの悪い子達と同じ雰囲気の子達だったんです。すぐに私はスケープゴートにされました。頭を押さえつけられて水の中に沈められる、顔を出そうとすると水の中で足を引っ張られて息が出来ない、溺れる寸前。飽きたのか一人で放っとかれたので顔を出して息を整えていると、また私を沈めようとする。要は、殺す気はないけど、死なない程度に虐めて楽しむ、それが彼らの遊びだったんですね。7~8人ほどいました。
運が良かったな、と思うのは、この頃私『母』のどういう気紛れか、スイミングスクールに通わされていたんです。この時で二年目だったかな、通い始めて。確か25mクロールで泳げた筈です。泳ぐより潜る方が好きだったので暇さえあればよく潜っていました。なので、水の中を潜って逃げていました。それでも追いかけられて水の中に沈められましたけど。
しばらくして『シイナ』が「もう上がってこい」と言いました。『シイナ』は『母』に「見てわかっただろう?これ(私を指差して)はあの子達とは合わない。向き不向きがあるんだから」と諭すように言いました。それでも『母』は「どうして私の娘じゃ駄目なの!どうしてこれ(私のこと)なの!同じ顔なのに、どうして私の娘が幸せになっちゃいけないの!」と私を睨みながらもの凄い剣幕で捲くし立てました。私は何のことか全くわからなかったんですけどね、ただ『母』が私を憎いんだな、ということと、やっぱりこの人本当のお母さんじゃないんだな、っていうこと。それから、ピアノを習いたかったのは私なのにやっぱり私がピアノを習ってることにして自分の本当の娘にピアノ習わせてたんだな、って思いました。
『シイナ』はもうお手上げといった感じで「だったら気の済むまでやってみろ」と言いました。『母』はずっと私を睨み続けていましたけど。
あの時もし『シイナ』が気の済むまでやってみろ、なんて言わなかったら。『母』をどんな手段を用いてでも止めていてくれてたら、私の人生もう少しまともだったのかな、って思います。なんで「気の済むまでやってみろ」なんて言っちゃったかな、って。

この日に私に「逃げろ」と言ったオバサンはこの日三十三回忌があった家の一族の方だったそうです。この日が八月の下旬か九月の休日か。この年の十一月の夜、私が『両親』の中で唯一懐いた二人(『Aの両親』と以前区別する為に書きましたが)と三人で夕飯を食べていると電話が掛かってきて、『Aの母』が「××さんが殺された」と血相を変えて『Aの父』に言いました。私はこの時はまだ××と言う名前を覚えていたので、あの時私に「逃げろ」と言ったオバサンのことだ、とすぐに分かりました。「殺された、ってどういうこと?」と私が聞くと、口止めされました。警察沙汰になったのかどうなのかわかりません。ただ、当時子どもなりに新聞やTVを見て調べてみましたが、そのオバサンに関するようなことは見つかりませんでした。
ただ、誰かが死んだり殺そうとしたり殺されそうになったり、っていうのは随分と身近なものなんだな、って。殺される目に合ったのは私だけじゃなくて他にも、あのオバサンもそうだったんだな、って。私みたいに「殺してやる」って言われたのかな、とか。余計親近感が湧きましたね、あの「逃げろ」と言ってくれたオバサンに。
殺されたことが嘘だったらいいな、って。『Aの両親』も私も騙されただけだったらいいな、って、今でも思います。