掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 8

 

最近子供もうつと疑わしき症状が出ています。学校がつまらない、と。朝も起きられないし学校へ行く気力が全く湧かない、と。ウチの子は小学校からずっと虐めに遭って来て、中学で我慢の限界になって不登校になりました。虐めの理由はわかりません。ウマが合わない、というのもあるでしょうが、人種なのかな、とも思います。ウチの子を虐めてきた連中は、私が子供の頃『母(戸籍上の)』から用意されていた「この子達と付き合え」と言われてきた子達によく似ています。顔も雰囲気も。どんな関連性があるのか知りませんが、まあ、事実です。
うつ、って遺伝するのかな、ってちょっと考えちゃいます。そうだったら、産んだ私が悪いんだな、って。ごめんなさい、って。本当のお祖母ちゃんにもお祖父ちゃんにも会えなくてごめんね、って。普通なら孫は可愛がられて存分に愛情を注いでもらっていいと思うんですけどね。『戸籍上の実家』に連れて行っても、直接私に手を出さなかった『両親』に会っても、子供たちは懐きません。怖い、と言います。
六年前に『父』が倒れたんですが、私に手を出した『父』ではなかったので見舞いに行きました。でも、見舞いに行く度に病院のベッドで寝ている『父』が違う人物で。よく似ています、でも、目の色や輪郭、微妙な黒子の位置の違い、等よくこれで同一人物って思ってもらえるって考えるな、ってこちらが呆れました。病院でそうやって入れ替われるんだから、病院側も何らかの事情を知ってるんでしょうね、きっと。
子供たちも怖がるし懐かないし嫌ってるし、もう『実家』には行っていません。三年前に用事があって『実家』に行ったのですが、出てきた女性は『母』によく似ているけど全く違う、四十後半から五十前半ぐらいの比較的若い女性でした。前もって、行くことを『母』に伝えてあったのですが、出てきた女性は私を爪先から頭の先まで睨みながら嘗め回すように見て、「何の用?」と非常に威張りながら言いました。もう、長居したくなかったので用事だけ済ませて帰ってきたんですけどね。それ以来、『母』にも会っていません。
親戚もいない、いるのかも知れないですが全て『両親』に用意された『親戚』で、友人も『両親』に用意された人物しか回りに集まってこなくて。今こんな状態で、新しい環境にも新しい人間関係も築けなくて、天涯孤独なんだな、って寂しくなります。でもなんか、泣きたくても泣けない。頭と心が繋がってない、というか、昔は映画とか見ても感動するとすぐ泣いたりしたんですけど、今は首から上と下で半分に分かれてる、って感じです。


【見合い】が、私が幼稚園の年長の冬にもう一度ありました。【かすみかいかん】で私の【見合い】を取り仕切った『シイナ』は同席していませんでした。晩夏か初秋にもう『シイナ』は匙を投げたようなものでしたから今考えればそれも当然だったと思います。今思うと『シイナ』が私に見合いをさせたかったのではなく『両親』が私を好きなように動かしたかったから『シイナ』に立会いを頼んだのかな、と。
冬の夜、『父』に連れられて、見合いには似つかわしくない場末のスナックのようなところへ連れて行かれました。そこには『父』の仕事柄付き合うような職人(家業がゼネコン業だったので大工さんとか解体屋さんとか)のような雰囲気の大人がいました。わりと大き目のボックス席で、店は貸切り状態だったと思います。男の人が4~5人、私の向かいに【かすみかいかん】で『ミヤジマシゲキ』と名乗った方たちによく似た人物。誰に似ているか、と言われると雑誌で見た【山口組六代目組長司忍】氏によく似ています。もうちょっと目が丸かったかな。当時、『父』と歳はそう離れていなかったと思います。グラスにウイスキーかブランデーか、茶色い洋酒を入れていたので。『父』は日本酒党だったので、茶色い酒を飲む大人をこの時初めて見た筈です。とにかく、それが新鮮でした。それだけですけど。
何か聞かれたらこちらも適当に返して、カラオケが店にあったので『父』から歌えって言われて当時流行っていた都はるみの【北の宿から】を歌わされたことは覚えています。で、『父』が私を指差して「これでいい?」と私の正面に座っていた【司組長似】の人に訊きました。相手は「はい」だったか「うん」だったか、とにかく肯定して、私の意見は全く無視されたまま、その場はお開きになりました。子供だからもうこれ以上遅くまでは、と店のママらしき女性が「十一時」と言ったのも覚えています。薄暗い、TVで見る高級店やキャバクラやクラブとは対極の、くすんだ赤いシートの椅子が妙に印象的な店でした。
それから幼稚園の卒園までは、特に酷い目には合わなかったと思います。人が入れ替わって、私がついうっかり「さっきのオバサンは?ママ(両親をこう呼べ、ときつく言われていたので)はどこ?」と訊くと、「入れ替わってないわよ!同じ人でしょ!」と怒鳴られ手を出される事は普通に続いていましたが。