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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 10

 


いつの頃だったかは覚えてはいません。ただ、毎晩のように続く虐待、大体風呂場で殴られたり水に沈められたりして私がぎゃあぎゃあ泣き喚いているのですが、どうして誰も助けに来てくれないんだろう、って思ってました。風呂場は通りに面していて、窓も昔の住宅だったので中で叫んでいれば隣近所中に聞こえる筈なのに、誰も助けてはくれませんでした。
ある日、私が一人で留守番をしていると近所のカシハラさんという小母さんがやってきました。「○○(私の名前)ちゃん、お母さんに虐められてない?おばちゃんが助けてあげるから、おばちゃんと一緒に行こう」って言ってくれました。でも、私は怖かった。カシハラさんに付いて行ったら私は親のいない子になってしまうのではないか、というのと、上手く逃げ切れなかったらまた私が酷い目に会うのではないか、と。だから、泣きながら必死に「ママは優しい、可愛がってくれる」と訴えました。カシハラさんは諦めて出て行ってしまいましたが、外から声が聞こえてきて「お母さんは優しい、って言い張る」「駄目だった」と複数の人の声が聞こえてきました。ああ、みんなわかってたんだな、と思ったのですが、どこへも行けなくて、一人で家の中で泣いていました。怖かった、それに、カシハラさんを信用していいのかわからなかったからです。
小学校二年生になって、身体測定がありました。基本、低学年なので上半身裸になるのですが、教室で服を脱いでいると、担任の先生が私の身体中に痣があることを見つけてくれました。「これ、どうしたの?」と。
私は最初「転んだ」といったように思います。でも担任は「転んでこんなにはならない」と言って、私を別室に連れて行きました。そこで、やっと私は家で起こった事を話しました。後のことはよく覚えていません、ただ、身長を測るとき等保健の先生や医者が私を痛々しい目で見たのは覚えています。そうやって見られると、余計に惨めになりました。確か、その日は私は教室に戻らなかったと思います。帰りの会の時に教室に戻って荷物を整理していたら担任が「○○(私の名前)だけここに残っててね」と言いました。担任が校長・教頭に話して『母』を呼び出して緊急職員会議になったそうです。みんなが帰った後の教室で、一人で宿題をやっていました。一人で寂しくて、教室の中がオレンジ色で、それはとても印象に残っています。
時計を見たら四時半、だった筈です。担任が私を迎えに来て、『母』と一緒でした。私は、これで『母』と離れられる、『父』とも会わないで済む、もうあの家に帰らなくていいんだ、と喜んでいました。それなのに、『母』は職員室で私への虐待を否定したのだそうです。それも必死に。
これ以上は埒が明かない、ということで、担任が私に「○○(私の名前)ちゃん、今日はお母さんと帰る?」と言いました。私は絶望した、というのがその時の正直な気持ちです。またあの家に帰らなければならないのか、というのと、虐待がばれて私が誰かに助けを求めたことがばれて、また今夜から殴られたり殺されかかったりするんだろうな、って。目の前が真っ暗になった、というのが本音です。ああ、学校でも駄目だったな、って。担任でも、私を助けてはくれなかったな、って。
仕方がないので、その日は大人しく『母』と一緒に帰りました。一言も話さなかったと思います。夜、夕飯後、また殴られました。『父』が『母』に「今日こんなことがあったから、顔は止めて置け。またばれて面倒な事になったら困るし、今度は誤魔化しが効かない。」と。『母』は「わかった」と言って、主に私の背中を殴りました。胸にショックがきて、息が出来なかったのは覚えています。まあ、そんなことしょっちゅうでしたが。
次の日から、私は学校でもどこでも【努めて明るくて曇りのない子】のように振舞いました。前の晩に殴られても、首を絞められても、水に沈められても、【優しい両親に育てられた女の子】のように振舞いました。自分の親は優しくて私を大切にしてくれている、って妄想しておかないとやってられなかった、っていうのも勿論あります。空想の中だけでも【自分は恵まれている、優しい両親に大切に育てられている】って思ってないとやっていけなかった。あと、虐待がばれると面倒臭い。誰も助けてはくれないし、誰も何もしてくれない。逃げられなかった時は、今回のように【虐待の証拠】を学校側が掴めなくて家に帰されたときは、更に酷い仕打ちが待ってるだけだ。それがわかってからは、もう、誰の助けも求めていませんでした。なんで担任や学校はあの時私を『母』と一緒に家に帰したんだろう、って。どうしてあの時施設に保護してくれなかったんだろう、って。それだけで、随分救われたのに。そう思います。
カシハラさんが助けに来てくれたときは、まだ余裕があったのだと思います。あとは、カシハラさんよりは担任のほうが私も信用していたのでしょう。
なんだか全部に裏切られたような気持ち、でした。
ずっと、二年生の夏休みが終わる頃まで、虐待は続いていました。それが、あることを切っ掛けに一時的に治まりました。
二学期が始まって、私は同じクラスの男の子に「あれ、お前なんでいるの?野田に行ったんじゃないの?」って言われました。野田、という地名は知っていました。でも、何故私が野田に行くのか全く理解できなくて。その男の子は「ふーん、お前ともお別れだな」って訳のわからないことを言いました。コイツが転校でもするのか?と思ったのですが、時期的に中途半端だし、コイツ変なこと言ってるな、で、その時は終わりました。『両親』から殴られる、ということも、【妹の命日】が近づいて色んな親類と会う機会が増えてバタバタするまで、虐待そのものは落ち着いていました。秋の終わりだったか冬だったか、家に帰ったら久しぶりに見る顔の『母』がいて、「生きていやがったか」と言われ、その日からまた、虐待が復活しました。
大人になってからこの時のことを思い出すととても不思議で。元々私がうつ病で通院する切っ掛けになったのはストーカー被害なのですが、まあ警察に相談しながらも私と同じようにストーカー被害にあわれている同士の方の情報とか、皆さんどんな対策とられてるのかな、ってネットで色々調べてたんです。そうしたら、たまたま日本の事件記録を調べてまとめてあるサイトに飛びまして、そこでこんな記事を見つけました。
http://29.xmbs.jp/ch.php?ID=ryuhpms63&c_num=155487
野田事件、と言われているものだそうです。ただ、被害者は私と同い年の子ですが「お前野田に行くんじゃないのか?」と言われた時よりも一年前に起こっているようです。何も関係がないならいいのですが、翌年に私は野田へ連れて行かれます。疲れたので次回にしますけど。
怖かったです。まさか、と思うのですが、あの時クラスの男子が言っていたことも『母』が私を見て「生きていやがった」と言った事もピッタリ重なるようで。実際に私を殺す計画があったのかな、って。でも、私はどこにも行ってないし、『両親』に連れられて出かけることはあっても、一人でどこか違う場所へ行って別の名前を使ったり別人として暮らしたり、ってことをしたことがないので。
私は話を作っていません。自分が実際に体験した事と、思ったことを書いているだけです。
私の知らないところで何が起こっているのか全く理解できませんが、ただ、野田の事件を知ったとき、怖かったです。
大体、今まで、自分が本当に体験したことを人に話すと「お前頭おかしいんじゃないの?」とハナから否定されます。『母』が全く違う人、顔が全然違うのに似てないのによく同一人物と思ってもらえるって考えたな?っていう人に、初めまして、とか、あなたは誰?ときくと「私はあんたの母親でしょう!同じ人でしょう!別人じゃないわよ!」って怒鳴られてきたので。
すり替え、というか、力と人数と恫喝で事実を塗り替えてしまえ、っていう発想の人たちに囲まれてきたので。
だから、この話もお前の作り話だろう、って言われるのはわかってます。誰も信じてくれないし、誰もあてにならないし。