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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 11

 


今の自分の気持ちを素直に言うと【寂しい】です。どうして【親】がいるのに【親のいない子】のように育てられたのかな、っていうのと、今身体がどちらかと言えば不自由なので。好きなように動けないし歩くのにも困難で。自分ひとりで電車にも乗れないし、改札をくぐろうとするだけで脅える、というか、怖くて固まってしまう。病院のエレベーターに乗るだけでも、結構キツイです。仕事もできない、家の中のことをこなすので精一杯。どうして自分だけこんな目に遭うのだろうと。何と戦っているのか分からなくなります。話す人もいないし、子供たちとも話すのにも、自分には外の世界が無いので専ら聞き役、相槌を打って、こちらから何か新しい話を出してあげられない。近所で美味しい店を見つけても、そこのお店の人と会話が弾んで「ああ、ここに通おうかな」と思っても、次から味も変わってしまって(不味くなって)店の人もよく似てはいるけれども全くの別人で。どこへ行ってもそうです。仲良くなれそうな人に会えても、すぐに違う人が出てくる。人間関係から切り離されて、盗まれて・・・時系列を追っているので後で詳しく書きますが。
子供も、集団で、まるで計画的に追い詰められるように、【大人が子供に指示を出して集団で追い詰めるような虐め】に遭ってきました。昔文京区で子供の同級生の妹をトイレで殺害した母親、っていう事件がありましたが、あの時も私が公園に子供を連れていくと「あれと付き合っちゃ駄目だ、あれは他人の子供を殺すヤツだ」と言われて無視されました。【ママ友】っていうのは出来なかったですね。やっと仲良くなれそうな人と知り合えたかな、と思っても、次に会うときから別人が来て。こっちが変な顔をすると、ニヤニヤ笑って、とにかく雰囲気が悪いというか、人を馬鹿にしている態度というか。そのくせ、同一人物のように振る舞う。DQNっぽい、というか、昔『母』から用意された「仲良くしろ」と用意されたDQNな子達と同じ感じの人たちですね、すぐに入れ替わって成り済ましてくる人たちって。
本当に【盗むために監視してやる】って態度です、みんな。成り済ましてくる連中って。
小学校の三年生になっても、日常的に虐待は続いていました。『両親』もやり方を変えてきて「身体に良いから」という理由で亀の子束子を用意してそれで私の身体を洗いました。肌が丈夫になる、という理由でしたが実際はこれなら虐待じゃない、私の健康を考えた上での家庭なりの教育方針、という逃げ口上ができるからです。それが証拠に、私は背中が裂けて血が出るまで束子でこすられました。背中を他人に見られた時に酷い傷だとばれてしまうから、瘡蓋が取れたり肌がきれいな状態に戻ったらまた背中を削られる。そんなことが半年ほど続きました。近所の人たちが『母』に「夜お風呂場から○○(私の名前)ちゃんの泣き声が凄いけど」と言われると『母』は束子で私の肌を鍛えてるんだけど痛みに敏感で堪え性が無くてすぐ泣いて困る、と笑って誤魔化していました。
やっと虐待が終わったのは小学校四年生の時でした。実際私を虐待していた『母』は入れ替わり立ち替わり複数名いたのですが、一応虐待最後の日(それ以降も手を替え品を替え、で命を狙われることはありましたが暴行は一旦なりを潜めました)『母』が「お前がうちの娘に全部遺産を譲ってくれるんだろ?何もかもくれて死んでくれるからとりあえずこの辺で許してやるよ」と言って帰って行きました。
その一年前に私の状況のあまりの酷さに、何人もいる『母』の中で私が一番懐いていた『Aの母』が、【私が野田の子】ということにすれば虐待をしない、という約束を取り付けたそうです。実際そんな約束は反故にされて虐待は続いていましたが。それに第一、私はそんな約束はしていませんし。
小学校の三年生の秋、だったと思います。『母』が「車でおばさんの家に行ってそこから長野に行く」と言い出しました。その日は平日だったので「学校は?」と私は聞きました。欠席の連絡はしなくていいのか?と。すると『母』は「いいんだよ、そんなことしなくって」と言いました。そして、私が懐いていた『Aの母』が私を連れていきました。
埼玉県に地元の古い人から【菖蒲】と呼ばれている場所があります。そのそばに『母』の戸籍上の姉、一応私から見たら『伯母』ですね、そこに連れて行かれました。そしてそこから【長野】に車で連れて行かれたのですが窓から見える景色は違ったもので、一応寝たふりをしていましたが、小学校の二年生の遠足が野田の清水公園キッコーマンの工場だったので、見たことのある景色が見えてきたんです。そして、殺風景なビルに連れていかれました。先日ネットで検索したら【野田・キッコーマン総合病院】の昔の建物によく似ています。そこで『Aの母』から「この人があなたのおばあちゃんよ」と紹介されました。変だな、と。『母方の祖母』は戸籍上『母』が子供の頃に亡くなっています。『父方の祖母』も、私が三歳の時に戸籍上は亡くなったことになっていて。それに、『祖母』と紹介された人は私はあまり好きになれなかった。痩せていて、細くて、白髪を後ろで一つに纏めていてちょっとキツイ感じの人でした。誰に似ているか、といったら噺家桂歌丸師匠を女性にして顔色を悪くした感じ。私は一言も口を利きませんでした。『祖母』と紹介された人は笑って「この子はわかってるから騙されないんじゃないのか?」と言いました。無理があるのでは、と。それでも『Aの母』は「それでも助けられないからお願いします」と頭を下げていました。
帰るときに「さようなら」と一言だけ、私は『祖母』と紹介された人に言いました。
次の日に学校に行くと、【昨日は違う子が○○(私の名前)ちゃんとしてきたから心配した】とみんなに言われました。私は何のことかわからなかったのですがとりあえず【長野に連れて行かれたことになっていたので】、「長野に行っていた」とみんなに言いました。
そこからまた不思議な事が続くのですが、虐待も相変わらず続くのですが、疲れたのでこの辺で今日は終わります。