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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 13

 

正直に言うと、学校は面白くなかったです。仲の良い、なんでも喋れる友だちもいなかったし、毎日が消化試合のようで。それでも、楽しい気分や楽しい振りをしていないとやっていられなかったので、【元気で明るい曇りのない子】として通していました。努力すれば報われる、とか、必死に頑張れば道が開ける、と世間にはそんな甘い言葉が溢れていて学校でもそういった言葉がバンバン飛び交っていましたが、私は嘘だと当時から思っていました。だって、頑張って【明るい子の振り】をしても『両親』の評判を【優等生を育てたいい親】にしてあげても、私には何も無いからです。初めから食い物にして殺すつもりでやってくる連中しか集まってこない。それこそ幼稚園の頃から、『母』として潜り込んで来て私を虐待・・・もう暴行や殺人未遂と言った方が適していると思います、そんな連中ばかり。「殺してやる」、「こいつを手に入れれば全てが手に入る」とか「死ね、遺産寄越せ」とか。
頑張って道が開けるのは、選ばれた人種だけです。わがままを言っていいのも、自分のなりたい職業に付けるのも、選ばれた人種だけ。私はイヤというほど見てきました。一度【お前は日本人だから駄目だ】と言って差別された事があります。外国で、ではありません、日本国内で、です。才能・実力は関係ない、人種と家柄とコネ、それだけです。自分の才能を磨く為にどんなに努力しても、才能のないヤツがコネと金と家柄でのさばれる、人の才能も手柄も奪える。努力すれば夢が叶うのは、選ばれた人種だけ。実際例は、時系列を追って書くので、後で詳しく。
こういう連中にとって【約束】って守る為にあるのではないのだな、って。最終目標は【殺す】事で、その為に脅して全て根こそぎ家も名前も金も全て奪い取るための切っ掛けにしか過ぎない。だから、私に手を上げないという約束をしても、そんなもんぜんぜん気にしないで虐待を続ける。事実そうでしたし。他人のものを盗んで奪って殺して成済ましてのさばって支配する・・・そうしていないと気が済まない連中なんでしょう。全部自分の思い通りに動かさないと気が済まない、こういう連中とは共存は無理だな、って。
昔ながらの手作りの、ちゃんと修行して地道に営業してる和菓子屋さんがあるとします。そこが評判がいい、私が気に入った店だ、と知ると、その連中はその店を乗っ取る。そして、見た目だけ似ているものを売る、味は当然推して知るべし、って感じです。
百円で売ってる饅頭があるとします。皮も餡もちゃんと手作りで、その店独自の味を作っているのに、乗っ取ってくる連中は百円のアンパンの元を使って作る。そうすると、アンパン一個分の材料で三つ分饅頭が出来る。型に入れて焼いて見た目が同じに見えればOK。そういう発想です。だから、当然味も酷い。それを指摘すると逆ギレする。「どこがどう違うんだ!これだって美味いじゃないか!」と。違いを指摘すると「俺たちだって一生懸命なんだよ、何で否定するんだ!」と泣き落としに掛かる。
別の店出せばいいと思うんですよ、ソッチはソッチの味を作って、昔ながらの味を維持してる店はそれで営業して。何でグチャグチャにして自分なりの技術を持ってる人を潰すのかな、って。共存は出来ない人たちなんだな、って。他人のやり方を認めないで全部自分たちが簡単に見た目だけ整えて楽に儲けるやり方に変えてしまう。共存できる人たちなら、他人の店は潰さないですよね、他人のやり方を認めたうえで自分たち独自のやり方をやっていくと思うんですけど。
話それましたが、結局、私を殺そうとしてきた連中も、仲良くなれそうな人だったのにすぐに入れ替わって成済ましてくる別人も、似たような雰囲気で、正直に言うと顔も似てます。

虐待が一応終わったのは、四年生の秋頃だったと思います。「お前がウチの娘に遺産全部くれて死んでくれるんだろ?だからこの辺で許してやるよ」と言って、それ以来暫らく【一番私に手を上げていた母】は来なくなりました。
一度『母』が「どうして見てるだけなんだ?自分は殴らなくてもいいのか?」と『父』に聞いたことがあります。すると『父』は「俺が殴っちゃってこっちになついてこなくなったら困るだろ?○○(私の名前)自身は将来こっちで貰うから、お前たちは好きにこいつから奪えばいい」って。
結局、私を利用して食い物にする為に私を小さいころに攫ってきたのだな、と。
当時から私は何故か【ハングル】を覚えさせられました。NHK教育ラジオでハングル語講座があったのですが、それを聞くように命令されました。でも、申し訳ないのですが、向き不向きってやっぱりあると思うんです。私には無理でした。覚えられないし、耳に入ってこない。生理的に無理、というか、音とか発音が無理。英語は聞いてても楽しかったです、さっぱり理解できませんでしたが。海外の曲とか、ラジオで掛かってるビートルズ・アートガーファンクル・モンキーズ・・・その他諸々。ただ、ハングルは肌に合わない。
それなのに、家によくハングル語と思わしき・・・というか韓国なのか北朝鮮なのか分かりませんが、そちらの言葉で電話が掛かってきました。
当時家業は自営業の建築業だったのですが、留守番中は仕事の電話応対は私の仕事で。私が電話に出るとハングル語でまくしたてられる。何を言っているのかわからなくて「は?」と聞き返すとそれでも強引にペラペラ喋ってきて。なんとなく時間と場所を指定されているようだな、ってい言うのはわかったんですが、何のことなのかさっぱりわからない。なので「え?どちらへお掛けですが?」って訊くと電話の向こうで「おかしい、違うのかな・・・でも番号あってるし、違う子?」とか訳のわからないことを言って勝手に切れる。そんなことが度々ありました。

少し整理して、まず『両親』がどんな人物たちだったのか整理します。
まず『父』は自営業者の建築業。反天皇主義者が殆どでした。パチンコ屋のオーナー・店主と懇意で『母』とグルになる時もあれば『母』にたいしてDV夫のように振る舞うときもあり、高圧的で、取引先に対しても威張り、複数の名前を使い分け、私の『父』として仕事を受けても別名義で仕事をしてそちらに金を流す。私の習い事のレッスン代としてどこかから金を融通されてもその金を他所に流す。あとは、海軍に対してやたらと憎しみを抱いていました。とにかく何故か海軍が嫌い。こういうヤツが『父』の八割方でした。
小学校の高学年の時、山本有三、だったかな【路傍の石】という本があって、それを読まされました。上下巻とも分厚い文庫本で。最初はつまらなかったのですが読んでいくうちに面白くなってきて、とりあえず読破しました。『父』から感想を聞かれて「男の子可哀想」と言ったんです。主人公の男の子は確か海軍幹部を男親に持って、でも主人公は人生の坂道を転げ落ちてく、そんな話だったはずです。火垂るの墓の男の子にまあ似た感じ。そうしたら『父』は「なあ?いいだろう?海軍の息子が駄目になっていくのがざまぁ見ろ、って感じだよな。」と嬉しそうに言ったのです。
後は、小学校の三年か四年だったと思います。家に帰ると初めて会う『父』がいました。背が高くて体格もいい。当時流行っていたウォークマンを持っていました。それも録音機能付きの。生でウォークマンを見たのはその時が初めてでした。絵本のようなものを見せられました。周りを黄色い菜の花だか蝶だかで囲って、中央に教科書のような字で長い文が書いてありました。『父』は読んでみてくれる?と。
所見なのでまず一回ザーッと読ませてもらって、それから録音になりました。「大阪の言葉だけど大丈夫?」と。当時土曜の昼に関西系の番組がこっちでもやっていたので聞き慣れてはいたのでなんとかエセ関西弁って感じで読みました。教科書のような見た目なのに女の子がお父さんやオジサンに何かを指示するような文章でした。そこの道を曲がれ、とか、電柱の根元にカバンがどうの、とか。とにかく不思議な話でした。でも拒否するとまた何をされるかわからないので、大人しく従っていました。隣で『母』は満足そうに聞いていました。ニヤニヤして。ああ、またこの人たちヤバいこと考えてるな、って感じました。
『父』の長野の実家も広義な意味で建築業で。『祖母』は警官相手の下宿を営んでいたようです。そこにどこかの映画会社の人も間借りしていて、大正天皇崩御された後内密に出家した皇后を長野で匿っていた家、と話す『親戚』もいました。
とにかく全般的にクズ。八割方クズ。後は音楽に関して異常に嫌悪感を抱いていました。自分が耳が悪かったから、なんですかね?絵を無理やり描かされました。絵が描けないやつは人間じゃない、ぐらいの勢いで。私はピアノならいたかったんですけどね。あと、何故か私に跡を継がせたがってた。
何だろう後は・・・とにかく子供の頃から私を利用したいんだな、っていうのはヒシヒシと感じていました。