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掛かり付けの医師の本当のことを言うためのブログ 14

 

『母』のほとんどは、ブランドとか家柄に対して異常に執着していました。
幼稚園に入る時も、前に書きましたが、入園時は願書を出して抽選で入園できる園児を決めていたのですが私は運良く受かって近所の子は落ちてしまった時も「ウチはいい家柄で良かった、あそこの家は大したことないし、やっぱり園だって来て欲しい子とそうでない子は選びたいモンね」と嬉々として言うような人で。家柄・ブランド・自分よりすぐれている人間への異様なまでの敵対心と言うか、妬み。見栄えを気にしてましたね、一応勉強はそこそこ出来た方だったので「優等生を育て上げた母親」って周りから見られるのがすごく心地よかったみたいです。
『母』の実家は埼玉でした。ただ、戸籍上なだけで、何人もコロコロと入れ替わってるんじゃどれが本当の話かわからないですけどね。
『母』の実家の、六代前だか七代前だかの祖父は、地主だったそうです。本妻がいたのですが、ある時女中が懐妊してしまい、「このままだとおなかの子供と一緒に身売りされてしまう」という嘘だか本当だかわからない女中の話に同情して、本妻と一度離縁し、その女中を正式に嫁として迎え入れたそうです。女中の子供も、全く血の繋がりがないのに、自分の子として認知して、籍を入れて。そうしたら、女中が産んだ子の本当の父親が出てきたそうです。「お前の息子の父親は俺だから俺はお前だ」という訳のわからない理屈を言い出して。要は、乗っ取られたんですね。その時に家系図は全部燃やした、という話と菩提寺が同時期に火事になって身の回りの品しか残らなかった、という話と二種類子供の頃に聞かされました。明治維新の前後、と話す『伯母』もいましたし、明治時代の話だ、という『親類』もいました。その『乗っ取られた祖父』は従兄弟だかなんだったか記憶がハッキリしないんですが、とにかく明治天皇と血縁関係があった人物のようです。このことをやたら自慢する『母』と全く気にしていない「だからなんなの?」という『母』と、『母』には二種類いました。圧倒的に前者の方が多かったですが。
だから『母』の実家は元々の『本妻』の家系と、『乗っ取った方』の家系と二種類あるそうだ、と。本妻の家系の方は女の子が生まれると、乗っ取った方の家系の男の子と無理矢理結婚させられたそうです。そうしないと、家と血が維持できない、と。
はっきり言って、小さい頃に連れ去られて自分の本当の親にも未だに会った事のない私には果てしなくどうでもいいです。全く関係ないので。コレは私の推論なのですが、二種類の『母』の家系のごたごたに巻き込まれてとばっちりを受けている赤の他人、が私なのかな、って。
本当にいい迷惑です。

小学校三年生のときに『弟』が生まれました。やっと私にも『弟』ができた、と嬉しかったのですが、『両親』は弟ばかり可愛がっていました。夜は殴られ、朝は機嫌が悪く、私が邪魔で仕方がない、といった感じで。私の服は『親戚』中に電話しまくって貰ったお下がりの古着ばかりで、ジーンズも一週間に一本、それを毎日穿いて週末にしか洗濯籠に入れてはいけない、と言われていました。だから、ほぼ毎日同じ服だった筈です。担任からも、同級生からも「臭い」とか「貧乏」と言われ、笑われて。
そのくせ『弟』の服にはデパートで月に3~5万円つぎ込んで、ブランド品ばかり着せていました。
でも、デキは私のほうが良かったので、『弟』が大きくなるにつれて『両親』が『弟』に注ぎ込む金は増えました。意地でも出来のいい子にしたかったんでしょうね『弟』のことを。アホみたいに塾に通わせ、高価な服を買い与え。羨ましくはなかったです、ただ、「親がいるのに親がいない子」のように扱われて、そのことが結構きつかったです。虐待、というか『親』からの物理的な暴行は収まりましたが、精神的な嫌がらせはありました。利用される、っていうのかな。
小学校の高学年の時です。同級生にコザクラくんという男の子がいました。背が低くて、頭はいいんだけどどこか変わった子で。その子と帰り道に口論になりました。他愛も無い【サンタクロースは実在するのか?】と言う、本当にクソどうでもいいことで言い合いになったんです。私は【サンタはいる派】コザクラくんは【サンタなんて信じない派】という、本当にどうでもイイコトだったんですが、コザクラくんは頭からサンタの存在を否定する。当時の私はサンタぐらいどこかにいるんじゃないか、って信じてないとやってられなかった。自分のところにはサンタは来ませんでした。クリスマスプレゼントすら、他の子達は親から「あれ買ってもらった」「今年はゲームだった」と言っているのに、『両親』は私には何も買ってはくれませんでした。小学校三年生のときに、クリスマスプレゼントとして『父』から一度だけ玩具を買ってもらって。それだけです。それでも、私のところには来ないけどどこかでサンタは誰かにプレゼントを上げているんじゃないか、って。当時の私が置かれていた環境は一言で言えば酷いところだったので。どこかにサンタみたいな優しい人がいたっていいじゃないか、って。
ところがコザクラくんは真っ向から否定する。サンタが存在する証拠を出せ、と。あんまり喧嘩して泣く方じゃなかったんですけど、この時は泣きました。サンタは絶対いる、って。
暫らくしたら『父』がコザクラくんの親と知り合いだったようで「先方が子供に謝らせたい、と言っている。お詫びに○○(私の名前)ちゃんが好きなものを持って行きたいから好物を教えてくれ。」と。そうしたら『母』は「ブランデーケーキ」と言ったんです。私はブランデーケーキは好きじゃありませんでした。むしろ嫌いな方で。『父』も「コイツはそんなの食べないだろう、大人の食べるものじゃないか」と言ったんですが『母』は「大人の味を教えるのにもちょうどいい」と言い、半分押し切り、私が【ブランデーケーキが好き】という事に何故かされて、数日後、ブランデーケーキがやってきました。私は一口食べたのですがやっぱり嫌いで。『母』が「お前が食べないなら」と言い、一人で喜んで食べていました。『母』が、自分が好きだったんですね、ブランデーケーキ。『父』も呆れてそれを見ていました。
暫らくしてから、確か五年生の冬だったと思います。夕方『母』に食事の支度を手伝えと言われ、従わないと面倒だったので、一緒に台所に立っていたんですが、台所は路地に面していて、表を通る車や人が台所からわかるんです。同級生が三人、自転車ではしゃぎながら笑いながら通りました。夕方、遅い時間、表は真っ暗。夕方、というよりも六時過ぎだったと思います。『母』が「こんな遅い時間まで何をしているのか、あの子達の親は何も言わないの?」と、始まりまして。正直私はその三人が羨ましかったんです。仲が良くて、やんちゃなことがやれて。自由で伸び伸びしてて。でも、私は面倒だったので『母』の機嫌を損なうとまた何をされるかわからなかったし、もうその頃には『母』が求める返事が出来るようになっていたので「今楽しくてもああいう子は後で怒られたりいずれ変な目にあったりするんだから放っておけばいい」と言ったんです。気にするな、構うな、と。『母』がでしゃばると碌な事にならないのはよくわかっていましたから。彼女達には、楽しそうだったからそのままでいて欲しかった。だから『母』の機嫌を損ねないで且つ『母』が彼女達から興味を失うような答えを子どもなりに考えて言ったんです。『母』は嬉しそうな顔をしていました。それでその話は終わる、と思っていたんです。
ところが、予想外のことが起こりました。
数日後、私は学校で【夕方自転車でウチの前を通って遊んでいた三人組】主導で、クラスの中ではじかれる様になりました。机にいたずら書きをされる、教科書・ノートを隠される・悪口を言われる・無視される・・・というお決まりのパターンですね。最初はどうして自分がこんな目に遭うのかわからなかったんです。その三人組の主犯格は家も近所で、そんなに嫌い、っていう子じゃなかった。悪口も言った事はなかったのに、私は主犯格の子から「お前、うちらの悪口言い触らしただろう!」とイチャモンをつけてきました。はっきり言って、何の事かわからなかったです。
しばらく経ってほとぼりが醒めた頃、例の三人組の中で一番話し易い子が「○○(私の名前)ちゃんのお母さんが『○○ちゃんが私たちが勝って気ままに遊んでてそういう子はその内酷い目に遭う』って。○○ちゃんの言う事は本当になる、○○ちゃんの言う事は絶対だから、って言ってる。」と教えてくれました。多分、あの日の夕方の会話を『母』がどこかで言ったのでしょう。ですがこれ・・・ナンノコッチャイナ、と。
今思うと、もうこれただのカルトじゃねぇか。暴行したり見合いツアーに連れてったり、ってことがなくなった代わりに今度は私を神様のように持ち上げ始めて利用し始めたのか!?って。馬鹿じゃねぇのか?と。
狂ってます、本当に。狂った馬鹿女。それが『母』の殆んどでした。
「可哀想な人たちには自分の持っているものを分け与えて上げなさい。自分のことは考えず、自分の利益なんて考えないで、周りのために尽くしなさい」って、よく言われました。ニヤニヤしながら。
【私がピアノ習いたかったのに私が習っていることにして金だけ取る口実に私を利用して他の連中に金やら習い事やらさせてやって、『弟』にはアホみたいに金注ぎ込んで私には暴行加えて利用して、人身売買モドキの見合いツアーに連れて行って、ブランドだの家柄だのに胡坐かいてるどうしようもない『母親』のアンタ】に御説ご尤もなこと言われたくねぇよ!
私を利用しつくした挙句に殺してこっちに全ての不幸押し付けて楽して威張って暮らしていきたかっただけだろう、お前ら!っていう『母親』でした。