掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 15

 

寒い日が続くと、本当に何もしたくなくなります。足の痛みも強くなるし、全身だるくなる。本当に、何もしたくないんです。寝るのも億劫。ただ、死にたくなる、って言う考えが浮ばないので、それはいいのかな、と。普通に動ける日は、やっぱり感情の波が薬で抑えていても少しあって、朝調子が良くても昼には少し沈んだりするんですが、そういう時に【殺してやりたい】って気持ちと【死にたい】って気持ちが交互に来ます。本当に全身がだるくて何もしたくない日は、殺意も自傷衝動も消えるというか鎮まるので、これはこれでいいのかな、って思います。そう思うしかないです。
小学校の高学年の時、『父』宛に若い女性からの電話がありました。思い詰めているような感じの声で、歳は多分、二十代後半位。第一印象は悪くありませんでした。ただ、取引先の人、っていう感じでもなくて。電話が切れた後「今若い女の人で××さん、ていう人から電話があった」と私が言うと『父』は慌てていました。何となく、ピンときました。同時期『母』宛にも若い男から電話があって、そのことを『母』に言うとやっぱり挙動不審になって。
私は、これでやっと二人が離婚してくれる、と喜びました。こんな二人に挟まれて窮屈な思いをしているよりも、とっとと離婚してくれたほうが気が楽で。どっちに付いて行こうか、ってそこまで考えて嬉しくなりました。
『母』と一緒にいるよりは『父』宛に電話をしてきた女の人の方が優しそうだったからです。対して『母』宛に連絡してきた男の方はあんまりいい印象はなかったです。何となく、信用できない感じ。それなのに、二人は離婚しませんでした。多分入れ替わったところで上手くやったんでしょうね。それ以降、『両親』の種類が変わりましたし。
同時期『両親』が隣近所の人たちから疎外されるようになって。原因はゴミと騒音でした。当時私の住んでいる地方では家の前に一斗缶を出してそこで燃やせるゴミを燃やしていたのですが、ある家が私の家の前でプラスティックとかビニールを燃やしていて。臭いし喉が痛くなるんですよ、煙で。目にもキツイ。それから、近所の人が路地にテーブルを出して夏の夜に宴会をしていたのですが、誘われても『母』は断って。近所迷惑だから、と。ついでにゴミの煙で迷惑してる、って言っちゃったんですね。それから、隣近所から疎外されるようになって。私は何も関係ないのに、私が挨拶しても私まで近所の人から無視されるようになって。虐待されてた時に助けに来てくれた小母さんも無視して。
生活し辛くなったんでしょうね、『母』は「○○(私の名前)が煙と宴会の音に嫌悪感を示している。アレのいうことを聞かないと何をされるかわからない、怖いから」と、近所の人達に言って、私の所為にして、近所付き合いを復活させていました。
それ以来、私だけ近所の人たちから腫れ物に触るように接せられ、私だけが悪者にされて。
中学に上がる時も、制服を買ってもらえなかったんですよ。「貧乏なのにとりあえずお金は貯めてきたけど、○○(私の名前)に使いたくない、親に逆らう子だから」と言いふらし、近所の卒業生の古着ですね、セーラー服。サイズは合わない、古臭い、汚れている、みんな新品の制服で通うのに、私だけ【兄弟のお下がり】ではなく、貰い物。
金がない訳ないんですけどね。あれだけ私の目の前で仕事して『私の父』として受注してるのに別名義で入金してもらってて、『弟』には毎月3~5万円服代に注ぎ込んでて。
本当に私を利用するだけして毟り取って、ゴミを押し付けて殺す気だったんだな、って。
で、中学に上がりました。
中学時代は『父』の奨め、というか、半分命令ですね。美術部に入らされて。本当は体育会系の部活に入りたかったんですが、前にも書いた【原因不明の急性腎炎】でまだ通院していて、過度な運動はドクターストップが掛かっていて、仕方がなかった、というのもあります。『弟』がまだ小さかった事もありますが『母』は朝起きるのを嫌がり、一応材料は前日に用意してくれるときもありましたが、五時過ぎに起きて一人で弁当を作って、一人でご飯食べて行っていました。とにかく『弟』ばかり可愛がっていて。もうその頃には諦めてましたが。どうして親がいるのに親のいない子のように育てられているんだろう、ってずっと不思議でした。親として振舞うならちゃんと親やれよ、と。親やるつもり無いなら私を実の親のところに返せよ、と。ただ、諦めていました。この人達に何を言っても無駄だな、って。
中学は地元の公立だったんですが、小学校6年の時に私立受験しないか?と『父』が言い出しまして。「桜陰、受かるだろ?」と。正直馬鹿じゃないのか?って思いました。中学受験をする子は4年生から準備してるし、しかもよりによって桜陰なんてお嬢様学校で。なんでウチみたいな貧乏人が行かなきゃならないんだ、って。しかもどんだけ頭イイトコロだと思ってるんだ?と。一年生から塾通ったって無理に決まってるだろう、と言いたい気持ちを我慢して、黙っていました。
『Aの母』が「どうして私立に行かせたいのか」と訊くと『父』は「俺の娘が桜陰行ってたら自慢できるし仕事にプラスになるから」と言いまして。本当にとことん私を利用したいだけなんだな、と。たとえ受かったって渡しのために出す金なんて無いくせに。私に使う、という理由で、他の子に使うくせに。と、思っていました。
全く、言う事も行動も『両親』は気分次第で、全然あてにならなかったですね。
中学時代の私は、一言で言えば情緒不安定だったと思います。とりあえず誰かとくっ付いて、グループに紛れて。だから、特に仲の良い友達は出来ませんでした。大人になっても付き合う、なんて、そんな子はいませんね。
中学二年の夏、でした。
寝る前に窓を閉めるとき、家の隣はお寺だったのですが、そこに人影が見えました。古い寺だったので、当然古い墓もあって、ちょこちょこ人魂が飛ぶような場所だったんですけど、それははっきり人影で。
気持ち悪かったです。こっちをずっと窺っている様で。じっと見られました。なので、その日以来雨戸を閉めて、窓をしっかり閉めて、クーラーをつけて寝るようにしたんです。その不審者の事は『両親』に言いました。それから暫らく、夏の間はクーラーを点けていい、ってことになって。
ごめんなさい、思い出すだけで吐き気がしてきたので、ここで一旦止めます。