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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 17

 

 

前回のことを読んだんですかね、子供の頃に強制的に【見合い】をさせられてきたヤツによく似たヤツが前回の記事をアップした翌日、【夢】に出てきまして。草生やしたいぐらいなのですが。「本当の親と会えるようにしてあげるから」と言いながら頭を下げてきまして。頭下げただけで謝らなかったですね。ふてぶてしい。

結論から言います。結構です。

実の親と会いたいなんて思っていません、っつうか今更w

あなた達が動くと余計な事しかしないから黙って死んでてください。大人しく死んでろ。アチコチの家を引っ掻き回して迷惑掛けてグチャグチャにするだけです。そんなことより金返せ。そして死ね。

日本人の発想じゃないですよね・・・余りにも度が過ぎる迷惑を掛けたら【死んでお詫びする】とか【切腹】って言う言葉が昔は普通に浸透してたと思うんですが。

頭下げるだけ。謝らない。そしてお詫びという形の新たな目標(?)を掲げる。よくいえばポジティブ。普通に言えば恥知らず。失策や失点を挽回する為に一見【親切でいい事】を目標にしてそれに向かって突き進んで荒らしていく。それがこいつらだな、と。

 

前回のことを書いた途端に、昔よく車で尾行だの私の通っている学校に潜り込んで来たりだのしていた連中が、またうろつき始めて。笑うな、って。やばい事やってる自覚があるなら最初からやらなきゃいいと思うんですが。

 

もうレイプに関しては書いたので、あとは時系列を追って中学時代のことから書いていきます。

中学二年の時に最初のレイプがあって、しばらく酒を飲まないと眠れなかったんです。普通に台所に一升瓶ありましたし。『両親』も私が小さい頃から私に酒を飲ませてましたから。本当に飲まないと眠れない。そのころは一応小学校の三年生の時に患った腎炎がほぼ完治して経過観察状態で、医師から体育会系の部活に入ってもOK、と言われ、私は陸上部に入りました。馬鹿みたいに走って疲れると飲まなくても眠れる日もあったんですが、やっぱりチョコチョコ飲んでましたね。特に翌年、気温が温かくなってくると怖かった。夜飲みましたね、調子のいい時は3~4合飲んで、翌朝5時に起きて弁当作って朝練出て。『両親』も何も言いませんでした。公認、というか、アル中かなんかで私に死んで欲しかったんでしょう、きっと。

中三の春、同級生の家に誘われました。その家は飲酒は親公認で。結構な人数が入り浸って。みんなで飲んでましたね、下らない事を喋りながら。私は家以外に居場所があって落ち着いた、っていうのと、みんなでワイワイやれるのが楽しくて。ここの家を『西くん』と呼んでおきましょうか。まあ、結局この西くんにも後で裏切られるんですけどね。西くんの母親は私の『父』と同じゼネコン業者で。

中三の秋です。夜眠れなくて、4合近く飲んでたと思います。やっと眠れたのが深夜二時ごろで。翌朝五時に起きて弁当作って学校行って。普通は三年生は夏で部活って引退だと思うんですが、私たちは秋に大きい大会があって、三年生もほとんど残ってたんです。だから、当然朝練があって。ところが、寝不足でギリギリに練習に出たその日はいつもと練習メニューが違いました。男女混合で、延々とランニング。ちなみに体育の時間の校庭5周!とかいう程度のランニングではありません、大会間近の陸上部男子レギュラーの速さ、です。それに食いついて校庭を15~6周したところまでは数えてたんですが、その後は覚えていません。ちなみに、校庭一周が大体500m程度です。

で、当然私は寝不足・二日酔い・走りすぎ、というコンボで、二時間目辺りに保健室に行って、一時間寝てました。

その日家に帰ると『父』が『母』に私を睨みながら「アレだけ酒に漬けてやったのに今朝ケロッと走りやがった」と、憎々しげに言ってまして。多分、今朝の学校での私のことを言っているんだろうな、と私は直感しました。でも、どうして学校の中のことを『父』が知っているんだろう、と。今なら笑ってしまうほどこの理由に思い当たる節があるんですが、当時はまだよくわかっていなかったんですね。

同時期です。ある日『母』が『父』に「韓国人がまとまって暮らしている場所に行って見ないか」と言いました。知人が増えるのはイイコトだ、と。で、実際『父』は『母』に勧められるままその場所に行ったそうなんです。夜遅く、十一時ごろに帰ってきました。半泣きで。

食事を振舞われたそうなんですが、味が合わない、と。まあ、これは好みがあるでしょうから仕方がない。で、その後、食器を使い回しするんだそうです。箸やスプーンを、誰かが使った後、舐めて別の人がそのスプーンやら箸を使う。家族や身内だけでなく、丸っきりの他人の『父』にもそれをやれ、と言う、と。

コレ、私も覚えがあるんですけど、ある先輩がパフェを一個頼みまして。三人でそれを分けよう、と。普通三人分のスプーンやら取り皿貰うものじゃないですか、お店の人に頼んで。ところが、そのスプーン一本を三人で使い回ししろ、と言うんです。同じスプーンを使って食べる事が、なんだろう・・・仲間の証明、みたいな。

もうヤクザが盃酌み交わすのかと思いましたよ。そのぐらい、圧力的でした。その先輩が韓国人だったのかははっきりわからないんですがね。ただ韓国の方でもそういうことをしなかった方もいらしたので。その人によるというか、『父』が行かされた場所が偶々そういう場所だった、ってだけだと思います。

ハングルで訳のわからない電話がちょくちょく掛かってくる家で。

パチンコ屋・ゼネコン業者・議員・・・と胡散臭い人脈のある『父』と。

韓国人のコロニーと繋がりがあり、攫ってきた他人の子を見合いツアーに連れまわし、私が興味を持ったことに対して私がやっていることにして実際は自分の娘に実を取らせ、目立つ事が好きで自分の娘より私のほうが優れている部分があると許せなくなる『母』と。

そんな二人から暴行され虐待され、レイプされて、そんな家でした。そういうところで何とか生き延びた、って感じです。

だから、正直自分に子供が生まれた時は怖かったです。虐待されて育ってきたら自分の子供にも手を上げてしまう人間が多い、って昔何かで読んだ事があったので。殺しちゃうんじゃないかな、とか、何かの拍子で昔の事がフラッシュバックしてヒステリーになっちゃって子供に手を上げちゃうんじゃないか、って。

偶に情緒不安定になったり、ふさぎ込んだり、死にたくなる程度で、実際は要らぬ心配でした。

普通に可愛くて。子供が可愛くて、そんな心配、結構軽く吹き飛びましたね。一緒にいてくれるだけで、嬉しいです。まあその内大きくなって独立して、私は一人暮らしになるんでしょうけど。自分が恵まれなかった分、この子達には、普通に幸せになって欲しい、と。