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掛かり付けの医師に本当のことを言うためのブログ 23

 

 

先週薬を替えてもらってから、足の痛みが退いていきました。まだ、捻挫のような痛みが残っているんですが。それでも以前に比べれば随分楽です。向精神薬としての効き目はまだわかりません。効いているのかどうか、正直足の痛みが軽くなった事によるハイテンションで、よくわからないです。ただ、昨日は結構沈みました。あと、相変わらず定期的にくる不審な電話。非通知とか知らない番号とか、そういうのがあると、やっぱり不安定になります。こんなこと書いてて、また殺されるような目にあったらどうしよう、という恐怖ももちろんあります。医者に言いたいことを整理するために書き始めましたが、今では半分遺書のような感じになってきています。

風邪を引いたのもあるのかも知れません、子供が今週体調を崩したので。それを貰ってしまったのかな、って。吐き気が治まらなくて、少し吐いて。一晩寝たら治まったんですが。

前回のブログを上げてから【妙な夢】はピタッと無くなりました。夢は見ているような、どうなんだろう、見ている感覚は残ってるのに、バチッと頭の後ろで火花みたいのが散って消されてるような感覚です。だから、起きると夢の記憶がない。ああ、まだ家畜状態は続いてるんだなぁ、って。多分一生、でしょうね。最近は子供たちも魘されたり、妙な夢を見せられる回数が増えたようです。前から、あった、って言えばありましたが。

 

高校に入ってすぐ、定期的によく見た夢があります。

私の夢は正直、今まで見合いさせられてきた相手や会ったことのない人や知らない人の顔を執拗に見せられて「この男がお前の旦那だ」「お前の最愛の人はこの男だ」と暗示をかけられることが多かったんです。多分、夢の中で見せられた顔、っていうのは、私を殺したり利用したり潰したい連中にとって都合のいい人物、なんでしょうね。私が自分から【夢であった顔】の男の元へ行けば、あいつ等にとって都合がいいんだろうな、と。

それが証拠に、主人の夢は一度も見たことがありません。

で、高校に入ってから定期的に【見た】夢ですが。

 

どうやら舞台は明治・大正時代のようです。煉瓦、だか石畳の道で、ちゃんとした瓦斯燈が何本も路地に立っていて、馬車が待っていて、周りはモンペやら着物姿の野次馬が大勢いて、その野次馬の中に一人の女の子がいました。ナレーション(w)で「彼女は十三歳、お前の婚約者と好きあってる子だ。それなのにお前は彼女から男を奪った。今の世で生まれ変わったのだから、今度はお前が彼女の為に犠牲にならなければならない」という声が流れてきて。

白いドレスを着た私が馬車に乗り込むと『T』がいました。正直、私の中には嫌悪感しかなかったのですが、夢は勝手に進んでいき。

「私だって、好きこのんでこの相手を選んだんじゃないだろう。親同士が決めただけじゃないのか?」と、幾ら夢の中で思ってもそんなことは華麗にスルーして夢は進んでいきました。

で、夢の中で何故か私は男の子を産んだ事になっていて。子供が一歳の時に、夢の中の『T』は短銃自殺をして終わる、と言う話でした。そしてまたナレーション()で「あの二人は心中した。お前の所為だ。今生では、お前が逆の立場だ」と。

いやいや、そんなこと言われてもそもそも嫌悪感しかないから、って思っても、おそらく当時の技術では【スカイプ状の夢】って無理だったんでしょうね。

何度も『T』の顔を見せられると、洗脳されたような感じになり、嫌悪感を抱きながらも自分から懐いていくような状態になりました。

私が強引に行かされた高校の、非常勤講師でした。『T』は。当時、戸籍上は三十代前半の筈です。まあ、何人もいたのでどれが嘘で本当だかわかりませんが。

授業・校内ですれ違った時、など気を付けて見ていると『T』は本当に何人もいて。

小学校の時に『母』あてに掛かってきた、おそらく付き合っていた年下の男と非常によく似た声、というかほぼ同一人物だと思います。『T』として振舞っている時の声を聞いた瞬間、「あ、コイツ」と思いましたから。それから戸籍上の年齢としてはちょっと無理があるんじゃないか、っていう見た目の人もいました。この「年取ってるな」って感じの『T』は、このブログの四回目か五回目辺りで書いたと思うんですが、長野の私の『従兄弟』の父親として来た、私に訳のわからない言い掛かりをつけて「契約しろ」とか訳のわからないことを言ってきたヤツに、メチャクチャ似てました。

当時私は『T』と『母』は繋がってるんだろうな、とおぼろげに思ってましたし、夢では手を替え品を替えて様々な『T』の顔を見せられて、情緒不安定でしたね、半分。気持ち悪い、っていうのと、『T』に懐いてる方が安全なんじゃないか、っていうのと。

で、また行かされた学校が合わない。とにかく面白くない、つまらない、ノリが合わない、空気が肌に合わない、というか茨城という土地そのものの気質が無理。

それでも必死に馴染もうとしましたよ、友達作ろうとしましたよ、「高校時代の友達は一生の友達」とか中学時代に洗脳されてきましたからそれなりに頑張りましたよ。でも無理でした。

お互いすり合せるように会話をすることはできても、仲良くはなれない。どうしても無理。

家に帰れば『母』から「出て行け」だの「高校通わせてやってるだけでもありがたいと思え」だの、挙句の果てには「風俗いけ」と、散々な言われようで。『父』からは「なんであんな馬鹿な学校通いやがって」だの「恥ずかしくて仕事関係の人達に言えない」だの、散々でした。好きで行った訳じゃないんですが。初めから誰かに決められてて、嵌められて、それで行く羽目になったんですけどね。

『父』からは「学費も高いし交通費が馬鹿にならない」と責められて。「だから一番行きたかったところなら交通費安く済んだのに。学費だってそっちの方が安かったのに」と言ったら『父』は「そっちの方が安かったのか?」と訊いてきました。この時に「もしかしたら私が願書出した時点で点数関係なく絶対に不合格にしろ」と、私が一番行きたかった高校へ圧力をかけたのは『父』経由だったのかな、って思いました。

とにかく、色々ギリギリのところで生きてたように思います。頻度は覚えていませんが、繰り返し見せられる『T』の夢、頻繁に見せられると【好きにならなきゃいけないのか】っていう諦めに似た、なんだろう、敗北感って言えばいいんでしょうか。『両親』からの暴言、合わない人間関係、『父』からのレイプ。高二の秋が、一番情緒不安定だったかな。喋れないし、無気力。校門まではなんとか歩けるんですが、そこから先、校内に入れない。仕方がないから街中ぶらぶらして適当な公園で時間潰して、ひたすらぼんやりしてたり。声が出せなくて、喋れなくて、死ぬ気も起きない。そんな感じでした。気分が乗ったら、仕方なく教室入って、仕方なく周りと喋って。

あの頃に精神科に受診するべきだった、と今なら思います。でも当時は無理でした。世間的に精神科を受診する、って、あの頃はもう、精神科に行ったらもうそこで人間じゃない、みたいな風潮だったように思います。まして、『両親』が、反対するのは目に見えていたので。高校生、『親』の許可なしに自由に病院行くなんて不可能ですよ。

で、ある日突然、多分色々限界まで行って吹っ切れたんだと思いますが、『T』の夢を見せられても、何とも思わなくなりました。何とも思わない、というか、絶対おかしい、とわかったんですね。ただ、まあ、近づいてはいました。懐いてる振りして。

顔見知り、というか、【特別な生徒】になっておいた方がおそらく安全だろう、と。あとは、卒業後も何か訊きたいことがあったとき、不審がられないで済むかな、って。主に探りを入れたかったのは『母』の動向ですけどね。

 

で、話が飛ぶようですが、卒業間際に『父』から怒鳴られまして。「なんで海保のスカウト断ったんだ!」と。何回か前に書きましたが、私の泳ぎを見て『父』に「私を海保大へ進学するよう勧めてくれないか」と関係者から話があったそうなんです。ところが『父』は「学校を通してスカウトしてやってくれ」と言ったそうなんです。でも学校で私が「父に相談もせずに勝手に断った」そうです。私はスカウトの話すら知らなかったんですけどね。で、絶対これは『T』が絡んでるだろう、と思って、『T』に連絡しました。当時、ちょっと「おねだり」すれば車出してくれてたので。結局向こうも私が欲しかったんでしょうね。欲しい、と言うよりは、私を利用したい連中。

で、それとなく、大学受験とかそんな感じの話題に持ってったら『T』が言い出しました。「ごめんな、勝手に断っておいたわ。だって、ああゆうのって、特別な家で育った子とか漁師の子とかじゃないと無理だって。国からスカウト来るなんて俺たちと違う凄いヤツなんだ、って思うと足引っ張ってやりたくなるんだ、ごめんな」と。

ちなみにこの時車を出した『T』は、私が小さい頃長野で私の『伯父』として私に訳のわからない契約とやらを持ちかけてきた奴にそっくりでした。

頭にきた、っていうのが本音ですね。

どうしてただの非常勤講師にそんな権限があったのか不思議、と思うのが普通でしょう。『母』シリーズの中の一人と付き合ってるから『T』も私の『父』の名前が使える、という屁理屈だけではないと思います。この非常勤講師、こんな事書くともしこれを読んだ方が調べればすぐに分かってしまうでしょうが、『T』の叔父が、当時の私学連盟の幹部でした。だから、他のまともな先生から聞いた話では、身内の繋がり上『T』に対しては余り文句が言えない状態だったそうです。

疲れたので、また今度書きます。