掛かりつけの医師に本当のことを言うためのブログ 42

 

 

子供たちも私の変化に気が付いているのか、なんだか嬉しそうに見えます。やっとこんな生活から抜け出せて別の名前を使って普通に暮らせる、とでも考えているのでしょうか。それとも私の被害妄想なのか、子供たちすらも信じられなくなってしまっているのか。
まぁ、逃げられるなら逃げたほうがいいに決まってます、こんな環境。
近所を見ていても、子供のころ『母』から言われたことを思い出しても、なんだか「売春して働くことがいいこと」という認識で動いている町なのかな、という感じです。
今思うのは、自殺した舅も死ぬ前はこんな気分だったのかな、と。死ぬことしか残されていない状態に追い込まれると、泣くこともできないんですよ、本当に。時間が経って落ち着いて、やっと涙が出てきて「あぁ、まだ泣けるんだ」って安心します。
みんなは幸せになれるんでしょう。私を死ぬまで追いやって、手を汚さずにみんなで一つにまとまって私を殺せて喜ぶんでしょうね。今まで私に手をかけてきた『母』や『母』に暴行を指示していた『父』や、ストーカーや、子供を狙ってきていた連中や、私がレイプされて喜んだ連中や、みんな「心願成就」って感じで喜ぶんでしょうね、きっと。
子供たちは私が死んだ後、別の名前を使って逃げて暮らせるのかもしれませんが、私は本当に行く場所がないし入れ替わってくれる人もいないので本当に死ぬんですが、多分子供はそんなことはわかっていないのだと思います。誰かに指示されてきたのか心底私が憎いのか、上の子はよく私に「死ね」と言ってきましたし。まぁ、学校でそうやって虐められてきたので、気分でそう言ってしまうのかも知れませんが。上の子を虐めてきた連中の家に共通することは、某野党の親派だ、という可能性が大きいことです。共×党ですが。デカデカとポスター貼ってる家もありましたしね。金になるからなのか付き合いで、なのかは知りませんけれど。
余談ですが、昔大学紛争以前の某旧帝大系に出入りしていた人から聞いたことがあります。某新興宗教団体親派の教授連が「新しい日本を作ろう」を旗印に掲げて学生たちをピックアップしていた、と。それが詳しい団体名は知りませんが安保闘争・学生紛争に繋がっていった・・・と。当時の教授連が支持していた団体は今じゃ某与党最大支持団体、学生たちの派閥は今は名を変え人も変わり某野党の下部団体・・・とも報道されています。
結局、箒と塵取、ですね。
旧帝大系医学部ではVIP入院患者のための買春を斡旋していた、という話もありました。先に金をもらい予約だけ取り付けて、予約を受けた人間は金を持ち逃げ、入れ替わったはいいが事情を知らない別の人間がレイプ被害・・・でも男側にしてみれば前金を渡しているわけですから強引になる。女性側にしてみればレイプ被害者なのに客を取ったことになってしまう、というか取らざるを得ない状況だったようです。
そうやって、勢力を拡大していったんですね。
こんなことを書いても私には何の得にもなりませんが。思い出したから書いただけです。
もうなんだか怨みも怒りも通り越して呆れる事しかできません。自分の置かれている状況に変化はないので。多分、私が死なないと何も終わらないし始まらないのでしょう。
本当、生まれてくるんじゃなかったし、生まれてきてごめんなさい。


とりあえず、時系列で何があったのか、時間が許される限り書いていけたら、と思っています。最初は「治る為・死なないため」に書き始めたのに、今じゃ単なる遺書代わりになってしまったようですが。


上の子が小学校一年生に上がった年です。近所に同い歳のお子さんが多く、放課後は我が家に遊びに来ていました。多い時には年下・幼稚園組・妹弟組・・・も合わせて十人以上。普段でも7~8人は集まっていたと思います。その中にHちゃんという子がいました。秋頃、確か十月だった筈です。私の目の前でいきなり上の子をHちゃんが平手打ちをしまして。「HのパパはHだけのものだから!○○ちゃん(ウチの子)にはあげないから!」と怒鳴ったんです。私も上の子も何のことやら全くわからず、とりあえずHちゃんの言い分を聞くことしかできませんでした。
Hちゃんの言い分はこうです。

・・・Hちゃんのお父さんが「パパは○○(ウチの子)のパパでもあるんだよ」と言った。朝お母さんの部屋に行ってみるとママが知らない男の人とベッドで抱き合って寝ていた。パパしか信じられないけどパパも変なことを言う。でもパパはHだけのもの、○○(ウチの子)にはあげない・・・

と。
まぁ、こっちにしてみれば本当に「お前の父親ここに呼んでこいよ!」なんですが。つうか、夫婦の痴話喧嘩に私たちを巻き込まんでくれるか?こっちはこっちで離婚届にサインして後は離婚後の養育費とかどういう時に会うか、とかそういうことを話し合いたくても主人と会えない状況で。
やっと主人が捕まったので細々としたものよりまず上の子の件だ、とHちゃんのことを話しました。すると「ほっとけ」と。
ほっとけ、じゃねぇよ。と思いましたが。
Hちゃんのママは、まぁ、元々少々問題のある方で。
朝の八時半にHちゃんの妹が三輪車に乗って家にやってくる。ウチの下の子より年齢は一つ下だったんですが「ママが○○ちゃんのママのところへ行け、って。遊ぼう」と。
ウチは保育所じゃねぇよ。
このHちゃんのママ、っていうのは何回か前に書いたんですが、子供の幼稚園のお迎えにシースルー的な緑のティンカーベルチックな超ミニワンピを着ていくような女で。昼日中人通りのある道の真ん中で「私レイプされたのぉ!」と絶叫して大泣きする女で。何事か!って表に出ましたよ、そうしたら泣くだけ泣いて隣近所の人が同情してると下向いてベロ出してニヤニヤしてて。でも、地元の有力者の嫁で。町内会長のご親族、という話でした。
こっちも我慢の限界だったしHちゃんが可哀相で「子供安心させるために夫婦同士で会わないか?」と私から申し出ました。ウチも主人を引っ張っていくから、と。かなりの譲歩だったと思いますよ、私は目の前で子供が叩かれてますからね。
そうしたらHちゃんのママが「えぇ・・・それはちょっとぉ・・・」と。
ちょっとぉ・・・じゃねぇよ。
「ごめんね、いつも世話になってぇ」と言いながらHちゃんのママが持ってきたのはヤクルト二本。そんなもんが欲しいんじゃねぇよ、そうじゃねぇよ。と怒鳴ってやろうかと思ったのですが、何しろHちゃんとウチの子は同じクラスだったので、今後を考えて我慢しました。Hちゃんの妹はそれ以降も相変わらず朝から押しかけてくるので、可哀相でしたが「ふざけんな!」と思い、わざとキツク当たって寄り付かせないようにしました。しばらく経ったら来なくなりましたね。
で、頭に来ながらも何とか生活していたのですが、翌年の二月の朝八時過ぎだったでしょうか、Hちゃんのママから電話がありまして。「Hちゃんが目を怪我した。病院に連れて行く」と。
なんでわざわざウチに電話してくるんだろう、と不思議だった、というのが本音です。午後、二時前だったかな、Hちゃんが一人でウチにやってきて。目が虚ろで朦朧とした感じでした。
「まだ○○帰ってきてないよ、後で来る?」と訊いたら「家にいたくない」と。仕方がないから家に上げて絵本とか一人で読んでましたねHちゃんは。そうこうしてる内に子供たちが帰ってきて友達とか来てHちゃんも一緒に遊んでいたんですが、夕方みんなが帰るころになっても帰ろうとしない。「Hちゃん、帰ろう?」と言うと「帰りたくない」と。
で、もうこれは虐待被害経験者としての勘、としか言いようがなかったんですが様子がおかしいので・・・というかほぼ黒だろう、と思っていろいろ聞いてみたんです。そうしたらHちゃんがポツポツ話し始めて。
「ママが怖い。目もママにやられた」と。
眼帯を外して貰って確認したのですが、左目に針で刺したような赤い傷が残っていたんです。とりあえずこのままウチに置いておくのは後で面倒なことになっても困るし泊めるわけにもいかないので「どうする?」と訊いたら「帰る」と言ってHちゃんは帰っていきました。正直、自分と同じような目に遭っている子が目の前にいて、家に帰す、ってすごい心苦しかったです。
で、その場で担任の先生に電話。用件は言いませんでした、ただ「相談に乗っていただきたいことがある」とだけ言って翌日、だったかな、の放課後に時間をとっていただきました。
「Hちゃんのことで」と切り出し、Hちゃんから聞いた話を全て担任に言いました。ついでだったので、前年の秋にウチの子がHちゃんに叩かれたことも。その流れで「ママが知らない男の人と寝てた」という話もしました。もう、どうせなら全部言っちゃえ、と。
で、まあ、担任からは定型分のような「ご報告ありがとうございます、注意してみますね」とだけ。まあ私も言うだけ言ったので後は私の責任じゃないですし。他人が学校に報告してやっただけ感謝しろよ私の時は誰も助けてくれなかったんだぞ。
ただ今思うと、他人に助けを自分から求められた、ってことはHちゃんの場合は私よりも相当軽かったんでしょうね。酷過ぎると本当に命の危険がありそうで言えないです。
で、Hちゃんの件、解決したのかというと、わかりません。何しろ、Hちゃん自身が他の子と入れ替わったので。
とにかく、私が当時のウチの子の担任にHちゃんの件を話したのが、確か三月上旬。その直後から、ウチの子のノートや教科書が教室内で失くなる・・・ということが頻繁に起こりました。机の中に入れておいたものが消える・・・ではありません。先生に提出したノートがウチの子の分だけ返ってこない、というケースです。
まあ、自分の時もそうだったんですが、教育委員会と地主とか地元の名士なんてズブズブ、ってことですね。
保育園に行けない、幼稚園に行けない、親から半分育児放棄のような扱いを受けている子・・・もウチに寄ってきては子供たちと遊んでいました。でも結局、みんなウチを利用していただけ。本当に、当時ウチに来ていた子達はウチの子が虐められていても誰も助けてはくれませんでした。関わったら面倒になる・・・と、無視。
日本を変えよう、とエリート様たちが変える事ができたのか昔から日本ってこんな感じだったのか知りませんが、情けは人のためならず、っていう言葉が全く意味を持たないものだということはよくわかりました。
恩は売るもの、なんですね。
前回の某企業のトレードマークもそうですが、他にも盗用された可能性ほぼ百パーセント、といったものもありまして。
空き巣にも入られたし実際に金も奪われたし、本当、泥棒天国・加害者天国なんだな、今の日本。
そう、実感しています。
こんなことを書いていても私を取り巻く状況は何も変わらないし、本当に「自殺」に向かっている・・・というか追い込まれているだけで、死なないように治るために書き始めたのにただの遺書になってしまっています。
私に手をかけてきた連中、子供を狙って虐げてきた連中、そんな連中が報いを受けるところをこの目で見届けたかったです。でも、どうせ逃げ延びるんでしょう。
もっと、子供たちにもしてあげたいことが沢山あったのですが、どうやらこれ以上は私を取り巻く状況が許してはくれないようです。
本当に、生まれてくるんじゃなかったし生まれてきてごめんなさい。でも、手元にいる子たちには、生まれてきてくれて本当に感謝しています。
こんなことを書いていても何にもならないし、現実の人間関係を築け、と他人は言うでしょう。でも、人間関係をぶった切られてしまっている状況でどうやって人間関係を築けばいいのかわかりません。まるで私を狙ってきていた連中が「確実に勝てて確実に対象者を殺せるゲーム」をやっているようです。
私は最近見ないのですが、子供たちは相変わらず妙な夢を見せられています。このままだと、子供たちも壊されてしまいそうです。